2016年1月16日

順天堂大学医学部心臓血管外科教授 天野 篤先生

「より多くの患者を救うための努力とその原動力に迫る」順天堂大学医学部心臓血管外科教授 天野 篤先生
天野先生は順天堂大学心臓血管外科の教授を務め、多い日は一日に4件の手術を執刀することもあるという。年間の執刀数はなんと450件以上にのぼり、日本屈指の実力者であることは言うまでもない。
2012年には東京大学との合同チームとして上皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した経歴もある。

『自分は常に"二流"だと思っている』そう語る天野先生。手術に対する努力を惜しまないストイックな姿勢は、テレビや雑誌等にも多く取り上げられ多くのドクターにも影響を与えていることだろう。

今回の取材では、そんなストイックな姿勢だけでなく、ユーモアのあるたとえ話など、天野先生の人間味溢れるお人柄に触れることができた。後輩の育成に対する思いや、天野先生の考えるドクターとしてのあるべき姿などたくさんのお話をうかがうことができた。

天野 篤先生インタビューなぜ医師になったのかなぜ医師になったのか経緯を教えてください。
私の家系は、父の叔父が2人東大の医学部を出ているような医療系の一家でした。私が産まれた当時は、児童が健全に育つかどうかもわからないような時代。そんな時代に大叔父が「この子は健康に育つだろうし、医者にしてもいいんじゃないか」と両親と話し、そう教育されてきたというわけです。

もう1つの理由としては、父が病弱だったことです。心臓病を患っていることがわかったのは私が高校生のときでした。父の姿をずっと見てきて、年齢を追うごとに「医者になってもいいかな」と思ってきました。実は私は3浪しているんですが「3浪までしてしがみついたら、医学部に入らなきゃ格好がつかない」と思っていたのもあります(笑)。そのために受験の模擬試験を優先し、成人式に出られなかったのが心残りですね。

外科にも様々ありますが、なぜ心臓外科に進んだのでしょうか。やはりお父様の手術のためだったのでしょうか。
心臓外科を選んだのは大学の5年生のときでした心臓外科を選んだのは大学の5年生のときでした。病院実習では循環器内科にいました。それも、当時はカテーテルを使った術式の黎明期。新たな術式で患者さんが救命されていくのと同時に、再び発作を起こして命を落としてしまう、という現場を見ました。そのときに「内科でできることには限界がある」と感じたんです。

それならば、当時の米国で治療体系が確立していた心臓バイパス手術など治療の決定打となるような外科的技術を身につけなければならないと思ったこと、さらに父の心臓弁の再手術が必要なこともわかっていたため、外科に進もうと思いました。

天野先生のような一流になれたその原動力は何なのでしょうか。
私は自分が一流だとは全く思っていません。むしろ、二流だと思い続けています。
しかし、二流でも一流に勝てることもあります。一流に対して勝つために二流を極めるということです。言い方を変えれば「一流に負けない努力」ということかもしれません。

「一流に負けない努力」

スポーツの団体戦で言えば、ここぞというときに必ず勝つのが一流。そんな一流相手にも絶対に負けない、もしくは「こいつは手強い」と思わせるのが二流ですかね?そういった試合ではよく番狂わせが起きます。そうなるためにはさまざまな努力が必要です。

医師で言えば、日々の勉強や、自分の専門を突き詰めて自分のスタイルを身につけるのです。そうすれば、いざというときに迷いなく自分の力を発揮できるのです。一流が迷うと取り返しのつかないミスになることがあります。世紀の発見と騒がれたSTAP細胞の指導役だった先生のような不幸な結果にもつながります。それに「自分は一流だ」と思ったら成長できないと思います。常に「自分は二流なんだ」という心のあり方をすることで、日々の努力を惜しまず邁進できるというのも大きな原動力の1つなのかもしれません。

(考え方など)後輩の指導にあたって気をつけていることは何ですか?
私は後輩に『外科医として、自分の職業を一生貫きたいなら、手術をして飯を食えなきゃいけない。』そして『身近な人に「仕事は何をしているの?」と聞かれたときに、間髪入れずにハッキリと「外科医です」と言えなければならない。』と教えています。

後輩の指導にあたって気をつけていることこの言葉にすべてが詰まっていると思っています。手術で結果が出せず、医療事故でも起こせば、社会的に制裁を受けて淘汰されます。反対に成果を出せば、患者さんやその家族、そして社会的にも評価され、その対価が得られる。よい結果を出すためには、先輩の技術を盗んだりたくさん学んだりする必要がありますよね。そのためにも「自分は外科医だ」というマインドが大事です。「最近執刀していない。自分は外科医なのか?」というような気持ちを抱かぬよう、執刀して腕を磨くことも大切です。

我々ドクターは医師免許を持っています。これを持っていれば、医師としてさまざまなことができて仕事に困ることはないでしょう。でも、それに頼って甘えてはいけないと思います。医師免許は資格であって免許皆伝ではないのです。我々は人の命を預かる身です。プロフェッショナルとして甘えることなく努力をし続け、結果を出し続けるのが医師免許に適うドクターだと思っています。

テレビで、1分間に70回の糸結びができると拝見しました。
1分間に70回の糸結びができるそうですね。でも、練習すれば誰でもできるようになると思っています。手術は作業と操作の2つに分けられると思っていて、糸結びなどは作業にあたります。この作業にかかる時間は短ければ短いほど患者さんの体の負担も減るため、最短時間で終わらせるようにしています。その分の時間を操作に使いたいのです。術中に、教科書にあるような場面をもっと展開して考えたり、体(器官)のはたらきを守りながら自分のイメージどおりに手術を進めたりするということです。
 若い頃から「糸結びは大切だから練習しなさい」と言われてきました。でも、その頃はなぜ大切なのかがわかりませんでした。これは誰しもが経験することだと思いますが、自分がその立場、そのタイミングが来たときに初めて大切さがわかるのです。私も執刀するようになってから大切さがわかりました。

それを若い頃から言われて実践するかどうか。実践する人は伸びるし、実践しない人は落ちていくものです。外科は体を侵襲する処置を行う科ですから、基礎的な技術の習得があってこそ、専門性が活きるものだと思います。

術中に切除部位を使用して弁を再建するなどのクリエイティブな発想を拝見しましたが、どうすればそういった発想が出てくるのでしょうか?
常に考えているからこそクリエイティブなことができるのかもしれません基本的にはいつも考えています。「これをこうしたらいいんじゃないか」「これはここに使ったらどうだろう」など、常に考えているからこそ、そういった場面に出会ったときにクリエイティブなことができるのかもしれません。

私はあまり執刀しませんが、小児では特に患者さん自身の細胞や組織を使って手術を行います。人工物は成長しないため自分の組織を用いる方がよいとされていますし、当院でもそういった手術を行っています。術後報告や手術記録をただ見るだけでなく「自分の手術にも取り入れられないか」と常に考えるようにしています。

もちろん、グローバルなエビデンスを無視したようなクリエイティブさは求めていません。一般的なエビデンスに私の所見を加えるといった形でしょうか。そういったことを積み重ねることで治療の幅が広がり、世の中のためになればよいと思っています。

座右の銘があれば教えてください。
特に考えたことはありませんが、強いて言うなら「己に勝つ」ということでしょうか。
先ほどの話にもありましたが、クリエイティブな発想や理想を追い求める気持ち、好奇心や探究心がなければ「大志を抱く青年」ではなくなってしまいますからね(笑)。

その基本は「早い・安い・うまい」です。早い対処や手術を安い値段で受けることができる。そして手術がうまく、術後も良好であること。さらには患者さんの人生もよくすることだと思っています。

上の立場になればなるほど、周りからも持ち上げられて「自分のやっていることが正しい」と思ってしまうものです。だから「どこかにスキがあるのではないか」「どこかに不具合が生じていないか」という恐れを持ち続けることが大事です。そんな「恐れ」を持っていれば、より完成度も上がり、違ったものが見えてくると思っています。

クリニックいわゆる一次医療について先生の考える「あるべき姿」を教えてください。
一次医療は患者さんとのフロントラインとなるため、患者さんが本当に訴えたいニーズを引き出して把握することが重要だと思います。そして、それに対して「こういった病気の疑いがある」「〇〇なので安心してください」など、しっかりと診断し、説明することです。

患者さんが本当に訴えたいニーズを引き出して把握することが重要

一次医療において必要なことは、患者さんのニーズを掴んで先を見通した診療をすること。それができない、いわゆる先の見通せない医師は「ヤブ医者」だと思っています。患者さんはそういった医師のいるところに行くべきではなく、しっかりした医療機関に行くべきです。とは言え、一次医療のドクターは本当に大変だと思います。患者さんのニーズを掴むことは、雲を掴むような状態と同じですから。それをしっかりと掴んで先を見通した診療ができれば、たとえ3分の診療でも患者さんが満足できるのではないでしょうか。

私も以前一次医療に携わっていましたが、一生涯をかけても、一次医療で診ることができる患者さんの数には限界があります。それならば、スペシャリストの道を極め、その中で普遍的な発見をすることで、日本のみならず世界的にも困っている患者さんを救えるのではないかと思い、二次医療の道を選択しました。

医療界における課題点をお教えください。
今や、情報があっという間に世界を駆け抜けるため、患者さんも最新の治療法や憧れる医療をすぐに知ることができます。そういった最新医療を、日本の保険制度の中でどう受け止め、どう取り入れ、どう普及させていくかが「治療」における一番の課題点だと思います。

最新医療をどう受け止め、どう取り入れ、どう普及させていくかが「治療」における一番の課題点介護などの「治療をしない医療」においては専門家でないため言及はできませんが、私がいるのは治療をして人を元気にする医療現場です。現場ができる工夫をしていくことと、政府の医療改革が必要ですが、先進的で高額な医療をそのまま取り入れてしまっては、保険医療費が破綻することは簡単に想像できますよね。

今や理想論だけでなく、しっかりと現実論として話を進めていく必要があると思います。社会と両立する形で「すべての人が満足する理想的な医療制度」をつくることの難しさは重々承知です。我々はそれでも、日本の保険制度の中で患者さんが一定の満足度を得られるような医療を実現しなければならないと思っています。

なぜ制度にこだわるのかと言うと、今の制度で自分の親も家族も自分自身も守られてここまできたからです。だからこそ、その制度を大きく覆すのではなく、よりよい形に変化させていく。そういった形で、恩返ししていくものだと私は思います。

医師プロフィール天野 篤先生<経歴・資格>
1955年 埼玉県蓮田市出身
1983年 医師免許を取得
      同年、関東逓信病院(現・NTT東日本病院)
      臨床研修医
1985年 亀田総合病院に移籍、心臓外科学を学ぶ
1989年 同病院の心臓血管外科医長就任
1991年 新東京病院に移籍。
1994年 同病院の心臓血管外科部長就任
2001年 昭和大学横浜市北部病院
      循環器センター長兼教授
2002年 順天堂大学医学部教授就任
2012年 上皇陛下の狭心症冠動脈バイパス手術を執刀

<著書>
『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)
『熱く生きる』(セブン&アイ出版)
『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』(NHK出版)

2016年1月15日

医療法人社団双壽會 秋津医院 秋津 壽男院長 (戸越銀座) インタビュー

「下町の一次医療を担う総合内科医。医療にかける信念とは」 秋津医院 秋津 壽男院長
多数のメディアにご出演の経験がある秋津先生。書籍も複数出版され、名前を知っている方も多いのではないだろうか。医師としてのあり方を追求した結果、大学病院や専門病院のような二次医療機関ではなく、一次医療を担う現在の総合内科に行き着いたという。

「日中は人の2倍働いて、休みは人の3倍遊ぶ」という秋津先生は「患者さんの負担を少しでも減らしたい」という思いからいち早く経鼻内視鏡を導入し、開院以来、戸越銀座という下町で地域のホームドクターとして活躍している。そんな秋津先生に良いクリニック選びのポイントや、医療業界全体についてなど、幅広くお話を伺った。

秋津 壽男院長 インタビュー先生の本(あさ出版「長生きするのはどっち?」 著:秋津壽男)を拝見しました。二次医療や三次医療についてかなりわかりやすい解説がありましたが、そもそもなぜ秋津先生は一時医療を選択したのでしょうか。
なぜ秋津先生は一時医療を選択したのでしょうか。そうですね。まず医師は、国家試験合格後、学会に入っていなくても専門医でなくても、どんな科目を行ってもよいことになっています。要するに、どの診療科目もできて当然ということです。
しかしながら、二次医療や三次医療の各分野のスペシャリストが揃っている大学病院などでは、各スペシャリストが「脳外科の手術しかしません」というのもよいと思います。だって、眼科の先生に脳の手術はしてもらいたくないですよね。

ただ、一般クリニックで内科の看板を掲げている以上、どんな症状でも「知らない」とは言えないのです。そこを極めていくと、一次医療で何でも精通した一般内科、いわゆる総合内科医やイギリスではGP(ジェネラルプラクシャン)と呼ばれる人たちが医師としてのあるべき姿だと思い、ここに行き着きました。

それをこの書籍の中で解説していたんですね
イギリスなどの海外では、いきなり大学病院に行っても診療はしてくれません。各地域に総合医がいて、そのドクターがエリアを管轄しています。まずは総合医のもとへ行き、その総合医がどの病院へ紹介するかを判断するという制度がしっかりと確立され、一次医療として機能しています。ただこの制度の欠点は、患者さんが決まった医療機関へ行かざるを得ないという点です。

あさ出版「長生きするのはどっち?」 著:秋津壽男それに対して日本は、誰でも大学病院へ行って診察を受けることが可能です。日本の医師には招応義務があるため、本来であれば夜中のどんな時間にくる患者さんも見なければならないことになっています。いわゆる"コンビニ医療"になりすぎているところがあり、海外と日本では極端です。

近年導入されたオバマケア(米国における医療保険制度改革)では、保険料は支払うのにカバーされている部分が少なく「あなたの保険ではここまでしか治療できません」「ここからは自費でなければ診ることができません」といったことが多々あるようです。そうすると「病院にかかりたくてもかかれない」という事態となってしまいます。

先生の書籍でも「TPPで医療の欧米化がされてくる」と記載がありました。仮に医療の欧米化が進むとどうなると思いますか?
仮に医療の欧米化が進むとどうなると思いますか?TPPが進んで問題となってくるのは、薬の特許と混合診療の問題だと思います。
まず、薬の特許が変わろうとしていますね。日本では薬1錠の値段も厚生労働省が決めています。それに対して欧米は、製薬会社が値段を設定できます。その高額な医薬品を保険対象とするか否かは、各保険会社のプラン次第となってしまいます。「あなたの保険プランではこの薬は保険対象ですが、こちらの薬は保険対象外です」といった形です。こういった背景もあり、海外では医療費の問題が少ないのです。

次に混合診療についてですが、この理念自体は正しいと思います。保険対象外の良い薬があるのに、それを使用したために入院のベッド代まで保険適応外となるのはおかしいでしょう。しかし一番の懸念点は、混合診療の制度自体を悪用されることです。
たとえば新薬が出た際「この薬は保険適用外です。お金のある人だけ使ってください。」となってしまうと、医療の平等はなされません。血圧の薬など、一般的なものまでそのようにされてしまってはダメだと思いますね。

日本は本当に理想的な医療制度が整っていると思います。日本は本当に理想的な医療制度が整っていると思います。しかし、熱が出たという患者さんが「昨日ゴルフに行って疲れたから、今日の診療のついでに湿布もください」といっても対応しなければいけないこともあり、医療費の使い方を間違っていると感じます。こういったことが続くと、仕組み自体を変えざるを得ないかもしれません。救急車を有料にするとか、保険適用外の薬を増やすとか。
そうならないためにも、患者さん自身が一次医療や二次医療を使い分け「医療は安くて当たり前」という昔の考えを変えてほしいと思います。昔よりは制度が見直されてきましたが、まだまだ難しいところですね。

秋津先生は会社員を経て医師を選択したそうですが、なぜ最終的に医師という職を選んだのですか?
昔の医学部は、9割が「医者の子ども」、残りは「成績がいいから入った人たち」だったんです。そのため「医師を本気で志してくる人は少ない。そんなところに行きたくない」そう思っていました。でも社会に出てみると、適当な人や悪意を持っている医師なんていないし、激務と言われる大学病院の先生でも、患者さんと真摯に向き合う真面目で勤勉な人ばかりだとイメージが変わりました。

それに、医師の仕事は「感謝され」さらに「尊敬され」そしてお金をもらえる仕事だと思ったからです。もちろんほかにもそういった職業はありますが、医師は健康や命に関わる最たるものです。次第にそう考えるようになり「医師なりたい」と思いました。でも「やるからには何でもできなければいけない」と思い、一次医療を担う今の状況に行き着いたわけです。

医師の仕事は「感謝され」さらに「尊敬され」そしてお金をもらえる仕事だと思った

先生はいち早く経鼻内視鏡を導入したそうですね。周りが消極的な中で導入しようと思ったキッカケは何だったのでしょうか?
私は、ポリープの切除など「治療」のための内視鏡は苦しくても仕方がないと思っています。でも、検査のためのスクリーニングで苦しいのを積極的にやろうと思う人はいないですよね。だからこそ、少しでも患者さんの負担が少なく、楽なものにしたいと考えていました。

現在は性能もかなり改善されてきましたが、私が経鼻内視鏡を導入した当時は、従来のものと比較して画像が鮮明ではないなど反対意見も多かったです。私は、たとえ画質が少し落ちても患者さんの負担が少ない楽なスクリーニングを行い、怪しい場合は大学病院など二次医療機関へ紹介するといった形の診療方法がよいと考え、導入を決めました。

大腸カメラも、経験者ならわかると思いますが、カメラは苦しいし事前に下剤を服用するし、前処置も大変ですよね。スクリーニング検査としてもっと楽に検査ができるようになれば、きっと受診率も高まり、病巣の早期発見で命を救える可能性も高くなると思っています。

クリニックを見分けるポイントを教えてください
まず基本は、スタッフがしっかりしていれば医師もしっかりしていると思います。あいさつがしっかりしているか、患者さんそっちのけでスタッフ同士がずっとおしゃべりしていないかなどをよく見てください。そして、診察までの流れがスマートかどうかも重要です。診療までの流れが悪かったり、スタッフの無駄な私語を黙認していたりするルーズな院長先生は、診療に関してもルーズなのではないかと感じますね。あとは、トイレの清潔さも重要です。トイレ掃除はみんなやりたくないものです。一番嫌がるところの掃除が行き届いているということは、ほかの部分もしっかり清潔に保たれていると思います。

院内写真入り口

ドクターに関して言えば「病名をしっかり教えてくるかどうか」も重要です。他医院に通院していた患者さんが私のもとにいらっしゃることもありますが「以前のドクターにはどのような病名だと診断されましたか?」と質問すると「病名はわかりません」とおっしゃる患者さんがたくさんいます。患者さんはただ熱を下げたいのではなく「何の熱なのか」を知りたい、それをきちんと伝える必要があります。

医師は神様ではないため、一発で病名の診断はできません。しかし「今のところリウマチの可能性は低いから神経痛の可能性が高いです。経過を見ましょう。長引くようであれば検査してみましょう。」とか「現時点では〇〇と✕✕の可能性があります。」と伝えるだけでも患者さんは安心すると思います。

病院は病気を解明するところであって、ただ処方箋を出すだけではダメだと思っています。しっかりと所見を説明することが大事ですが、患者さんが多いと一人の患者さんをないがしろにしがちになってしまいます。医師としてはここが難しいところですが、病名を知るのは患者さんの権利です。自分が納得するまで色々と聞いてみてください。

日々の仕事でかなり多忙だと思いますが、オンとオフの切り替えはどうされているのですか?
私は残業がキライなんです。膨大な仕事量に追われている人もいるので一概には言えませんが、残業する人は「仕事が遅い人」という考え方です。そのため私は、時間内に人の2倍働き、オフのときは人の3倍遊ぶ、休日に仕事を持ち込まないことを徹底しています。だから今回の取材も、診療後でなくお昼休みの時間なんですよ(笑)。

オンとオフをはっきりさせる分、日中の仕事時間はかなり集中されているのですね
無駄な時間を過ごすことはしたくないそうですね。とにかく無駄な時間を過ごすことはしたくないと思っています。

患者さんも、30分待って診療時間が3分でも、不安が解消すれば「よい時間」だったのではないかと思います。逆に、待ち時間なしで30分の診療時間をとっても、不安が解消しなければ「よい時間」とは言えません。そのためには医療以外のネタも重要になったりするんですよ。

たとえば、喉奥の横に大きな水ぶくれができたという患者さんが過去に数名いらしたことがあります。「飲み物もしみるし、何か悪いものなのでしょうか」と。そこである質問をしてみました。「昨日小籠包食べてない?」そうすると患者さんは「あ!食べました!熱くて熱くて...」「そう、それは喉のやけどの可能性が高いです。だから今のところ心配はありません。2~3日して回復しなければまたいらしてください。」なんていうやり取りもあります(笑)。医療以外のネタを仕入れるのも大事にしながら、日々生活しています。

季節柄、インフルエンザや風邪が流行ると思いますが、読者ができる予防法や対策について教えてください
風邪の初期症状は、微熱や軽度頭痛などです。市販の薬を服用して頑張ってしまう人が多いですが、無理をせずに「サボって、食って、寝る」これが大事です。体調を崩すということは、体からSOSが発信されている状態。仕事を頑張り過ぎないとか、残業をせずにすぐに帰るとか、やり方は人それぞれですが、初期症状の段階でしっかり休めばこじらせることは少ないです。本当にシンプルですが、体調がすぐれないと思った方は早めに休養をとってください。

院長プロフィール秋津 壽男院長<経歴>
1954年 和歌山県生まれ
1977年 大阪大学工学部を卒業後、会社勤務
1986年 和歌山県立医科大学卒業
      同大循環器内科に入局
      心臓カテーテル、ドップラー心エコー等を学ぶ
1998年 戸越銀座(東京都品川区)に秋津医院を開業

<資格等>
日本内科学会認定総合内科専門医
日本循環器学会認定循環器専門医
日本医師会公認スポーツドクター
日本体育協会公認スポーツドクター
日本禁煙学会認定禁煙専門医

秋津医院 基本情報

住所 東京都品川区戸越3-1-2 イマールビル2F
アクセス 戸越駅A3出口から徒歩約1分
戸越銀座駅出口1出口から徒歩約2分
戸越公園駅出口2出口から徒歩約10分
電話番号 0120-374199
03-5749-2062
診療科目 内科・循環器科・消化器科・アレルギー科・小児科
診療時間 9:00~12:30/15:00~18:30(木・土曜は午前中のみ)
※月曜のみ午前の診察は12:00まで午後は通常どおりの診察です。
休診日 日曜日・祭日

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くれクリニック 呉 兆礼院長 (西新宿) インタビュー

患者さんに寄り添う「居者」になりたい  在宅訪問診療にかける想いとは くれクリニック 呉兆礼院長
西新宿のオフィスビルにクリニックを構える「くれクリニック」。在宅訪問診療も行っている呉先生は、地域の患者さんに寄り添うホームドクターだ。「通院が困難になったらボクが診に行ってあげるから」と優しい笑顔で話す呉先生は一般外科出身で、患者さんの最期を看取る機会も多かったという。

「患者さん本人にとってよい最期をつくりたい」そう語る呉先生に、現在に至るまでの経緯や想い出深いエピソード、そして在宅訪問診療にかける思いを語っていただいた。

呉 兆礼院長インタビュー小学生の頃に通っていた教会での話しがきかけでドクターにドクターになったきっかけを教えてください
私は小学生の頃に教会に通っていて、そこで「イエス・キリストが泥の水で目を洗うと目が見えるようになった」という奇跡の話を聞きました。そして「目が見えない人が見えるようになる素晴らしさ」というのを感じたのです。今になって思えば、泥の水で目を洗って見えるようになるのは医学的にあり得ない話ですが「困っている人を救いたい」という想いを抱き始めたきっかけです。

それ以来、そういった仕事に従事したいと思っていました。ドクターにたどり着くまでには紆余曲折ありましたが、最終的には夢を叶えられてよかったと思っています。

幅広い分野を経験されていますが、呉先生の専門分野をお教えください
もともとは東京女子医科大学病院の第二外科に入局し、治療にあたっていました。その第二外科では一般外科と救命救急科を担っていましたので、専門分野でいうなら消化器外科ですかね。

しかしここは大学病院ではないため、今は内科外科全般を診ています。ほかの勤務医の先生に循環器などをお願いするなどして、幅広く対応できるようにしています。私は訪問診療でクリニックを空けることも多く、そういったときは私と同じ内科を診ている先生にクリニックを任せています。

患者さんへの説明や接し方などで気をつけていることはありますか?
患者さんと同じ目線で話すようにしています訪問診療だとお年寄りが中心ですから、なるべく患者さんと同じ目線で話すようにしています。それに「患者さんに対して怒らない」と決めています。患者さんに対し、怒ることで話を進めるのではなく、理解し合えるまで話し合いたいと思っています。

理解し合えないときは、まずその方の話をもう一度よく聞く。どんなことも、ちょっとした掛け違いで合わないことが多いので、それがどこにあるかを探るのが大事だと思っています。

それに、患者さんと医師に上下関係はないと思っています。医師も患者さんも同じ人間で、医師はあくまで患者さんの「治りたい」という気持ちを後押しするだけ。だからこそ「お医者様」なんて関係にはなりたくありません。

先生のポリシーは「居者」とのことですが、詳しく教えてください
常に患者さんの側にいて心を和ませてあげる医者となり、何科に進むのか進路を決める際「大変なところにいきたい」「患者さんの側に寄り添っていたい」と思っていました。そういった理由で外科に進み、そこで、患者さんが術後回復するまでや、残念ながら亡くなられた方をたくさん目にしました。

東京女子医大第二外科では「医者というのは、治療だけでなく、常に患者さんの側にいて心を和ませてあげる者だ」という「居者」の教えをいただきました。我々第二外科の医局員は、常にそれを心に留めて診療にあたっていました。それが今の在宅訪問診療につながっています。

救急外来から在宅訪問診療に至った経緯をもう少し詳しくお聞かせください
患者さんと同じ目線で話すようにしています私が外科に進んだのは、病気は手術をすれば治るものだと思っていたからなのです。しかし実際は、手術をしても2~3年経つと再発して、病院に戻ってきてしまうことが多々あるのです。

そして最期を病院のベッドで過ごすという患者さんをたくさん目にしました。そんなときに「最期くらい病院のような殺風景な場所ではなく、自分の家で過ごさせてあげたい」と思いました。

家に帰れない原因が何かを考えたら「看護師さんやドクターがそこには居ない」ということ。そう思ったときに「じゃあ私が側に行こう」と思ったのが始まりでした。

外科手術というのは、定型的なことを理解した上で実際に執刀経験を積む必要があります。私が大学に残ることで後輩たちの手術件数が減ってしまうのであれば、自分は身を引いて後輩たちに症例を回せばよいし、自分は患者さんたちにとって最良の最期をつくるお手伝いをしていこうと思いました。また、このような一般クリニックがそういった「受け皿的な役割」を果たすことで、大学病院や基幹病院が治療をする場所としての機能を発揮すると思っています。

印象深い患者さんとのエピソードはありますか?
開院当初から来てくれていた年配の患者さんがいました。その患者さんが「以前かかりつけだった先生たちは、みんな病気とかで亡くなってしまった。呉先生は大丈夫ですよね?」と言うのです。さすがに私もちょっと不安になり「それはわからないけど頑張りますね」と話しました(笑)。

開院当初から来てくれていた年配の患者さんがいましたずっと通院していたのですが、体の衰えもあり、とうとう通院できなくなってきました。「じゃあ今度は私が診に行くよ」ということで訪問診療になり、最終的には自宅で看取ってあげることができました。「先生の顔を見るだけで元気が出ます」と言ってくれたのが印象的でした。

訪問診療では、多くの場合自宅で初顔合わせをします。医療情報は前もっていただいていますが「どんな患者さんなのだろう」「性格は合うのだろうか?」など、ちょっと不安がよぎります。しかしそれは患者さんの方も同じで「どんな医者が来るのだろうか?」と不安でいっぱいだと思います。そういったところは、通院中の患者さんに「通えるうちは通ってね。通えなくなってもちゃんと診に行ってあげるから大丈夫だよ。」と言ってあげられるので、患者さんも安心して通えると思います。一般外来と訪問診療の両方行っている強みだと思っています。

訪問診療では患者さんの最期を看取る機会も多いのではないでしょうか?
もちろんそういった機会も多いです。最期が近くなると、患者さん本人だけでなく、家族の覚悟も必要となってきます。そのため、訪問するご家庭では家族の方との関係性も重視していて「いざというときにはまず私に連絡をください」と言っています。

あるご家族は、自宅で容体が急変したとき、最初に救急車を呼んだそうです。しかし救急車は、受け入れ先の病院が決まらないと発車できません。そのときに私のところへ連絡がきました。

受付診察室前

私は「その方はもう末期がんの患者さんで、どこの病院へ行っても助かる見込みはないのです。知らない病院へ運ばれて体中に管を入れるような最期なら、自宅で看取ってあげましょう。」と伝え、救急車から下ろしたことがありました。患者さんご本人は「いつでも覚悟はできている」と仰っていたこともあり、予めご家族とそういった話はしていましたが、やはりいざとなるとパニックになってしまうものです。「患者さん本人にとって良き最期」をつくるのも、ご家族の協力なしにはできないと感じています。

医師でよかったと思う経験を教えてください
患者さんが元気になって帰っていったときですねやはり、患者さんが元気になって帰っていったときですね。昔、胃がんの手術をした患者さんがいました。がんがリンパ節にも転移して状況はかなり悪かったのですが、私がその患者さんを執刀して回復し、退院していきました。

周りの医師にも「再発する可能性が高い」と言われており、かなり心配でした。その後10年ほど経って、別の病院でその患者さんと偶然再会したのです。正直最初は「お化けかな?」って思い、足を見てしまいましたよ(笑)。

話を聞いたところ、再発することもなく元気に過ごされていたそうで、すでに90代後半ですが、今でも外来へいらっしゃっています。その方がここまで回復されたのも、私の手術の腕ではなく、その人の「生きたい気持ち」だと思います。私はその生きたいという気持ちを後押ししただけですから。

一般クリニックは、大学病院がうまく回るための受け皿となること今後の一次医療、二次医療に必要だと思うことを教えてください
私たち一般クリニックは、大学病院がうまく回るための受け皿となることが大切だと思います。「どんな患者さんでも診ますよ」というスタンスが大事。そうすることで、患者さんは大学病院を退院しても地域の医師に頼ることができます。

また大学病院も、クリニックがそういうスタンスだと患者さんをお願いしやすくなり、医療が円滑に回るのではないかと感じます。訪問診療をしていることを話すと「大変だろう」と言われることもしばしばあります。しかし、どの医師も「患者さんのためになることをしたい」というベースの考えは変わらないと信じています。

院長プロフィール呉兆礼院長<経歴>
1989年 東京女子医科大学 第二外科 入局

1990年 中山記念胃腸科病院
       (現:八王子消化器病院)

1992年 伊勢崎佐波医師会病院

1994年 中野江古田病院

1996年 大分市医師会立アルメイダ病院

1999年 朝霞台中央総合病院

2004年 藤代病院

2004年 牛久愛和総合病院

2005年 中野サンブライトクリニック

2012年 くれクリニック開業

<所属学会・認定医>
日本外科学会認定医・専門医
日本消化器外科学会認定医
日本ヘリコバクター学会認定医
日本医師会認定産業医
日本消化器内視鏡学会
日本腹部救急医学会
日本高血圧学会
日本在宅医療学会
東京女子医科大学 第二外科 非常勤講師

くれクリニック アクセスマップ

住所 東京都新宿区北新宿2-21-1 新宿フロントタワー3F
電話番号 03-6279-2893
アクセス 東京メトロ丸ノ内線「西新宿駅」より徒歩4分
東京メトロ丸ノ内線「中野坂上駅」より徒歩8分
都営大江戸線「西新宿五丁目駅」より徒歩10分
都営大江戸線「都庁前駅」より徒歩14分
診療科目 内科・外科・消化器内科・循環器内科・在宅訪問診療
診療時間 9:00~12:30/15:00~18:00
休診日 土曜午後、日曜、祝祭日

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等々力脳神経外科 八塚 如院長 (尾山台) インタビュー

患者さんの89日を支えたい「脳外科医」から「町のお医者」へ 等々力脳神経外科 八塚如院長
国立市から移転して新規開院したという「等々力脳神経外科」。院内はウッドテイストで、温もりを感じる落ち着いた雰囲気。八塚先生は穏やかな口調で親しみやすいが、過去には脳外科医として数多くの手術を執刀した、医師歴も長いベテランドクターだ。この地では「脳外科医としてのこだわり」を捨て「いつまでも町のお医者でありたい」という想いで診療にあたっている。

「基幹病院は担当医の診療が3か月に一度だから、あとの89日を診る医者になりたい」というポリシーを持つ先生に、今の診療スタンスに至るまでの経緯や理想の医師像など、たっぷりお話を伺った。

八塚 如院長インタビュー父が医者だったというのが大きな理由ドクターを目指した経緯を教えてください
私の家系は、祖父、父、兄と三代続く医者。祖父は眼科医、父は開業の外科医、兄は大学病院で小児外科の教授をしていました。当時は「医者の家系で育ったら医者になる」という選択肢しかなく、私は「医者になるんだ」と自然に思っていました。

開業するに至ったきっかけはどういうことだったのでしょうか?
私が勤務していた最終病院は手術率が高くなく、救急車で運ばれてきても9割は手術を必要としない患者さんでした。手術が必要ない方は、リハビリのために継続して通院したり、紹介元の病院に戻ったりします。経過観察ですと、2週間から1か月に一度の頻度で来院されます。
手術を必要としない患者さんも含めて、部長外来に来られる患者さんの多くは今後の予後のお話をしに来る方たちでした。このような患者さんたちをしっかり支えてあげたいと思い、外来診療専門である開業に踏み切りました。

どのようなスタンスで診療を行っているのですか?
患者さんのお話をきちんと聞きます患者さんのお話をきちんと聞き「心配な部分は経過をみるから安心していいよ」というスタンスで診療しています。

私は、いつまでも町のお医者でありたい。患者さんが自分の病気を容認し「治療を要するか」「予防を要するか」「経過観察でよいか」を選別するのが私の役目だと思っています。

当院に来る方は手術が目的ではなく「危険な病気なのか、病気ではないのか」その判断を目的に来院されます。今まで培ってきた経験と技術力で診断し、CT検査などで少しでも疑いがある場合は速やかに専門的な病院へ紹介しています。

話を聞いてもらうだけで安心する場合も多いですよね?
そうですね。しびれやめまいなどで不安を感じて来院される方もいますが、異常がなく安心して帰る方がほとんどです。ただ私たち町医者の使命は、安心させることではなく「病気かどうか」「どういう経過観察をしていくか」を選別することだと思います。

国立市のメディカルモールにいた頃は「私は脳外科医だ」という「殿様外来」をやっていたようです。それを振り払うために、この地に新たに開業したわけです。だからここでは、風邪や水虫、捻挫など、頭のてっぺんから足の爪先まで幅広く診ています。

安心して帰る方がほとんどですどのような患者さんが多いのでしょうか?
お子さんは、頭をぶつけて来院する方がほとんどです。高齢の方は、脳卒中などを経験された「脳血管障害がある方」が多いですね。一度脳卒中となった方はリスクを持っていますから「再発がないか」「リスクが増えていないか」「日常生活動作が低下していないか」などを定期的に診ています。

必要に応じて「自宅でできる慢性期のリハビリテーション」をここで一緒に行い「家でも行ってください」と指導しています。リハビリテーション病院では発症後3か月~半年位までは治療を行いますが、慢性期の1年を過ぎると、悪化しない限り治療をしません。そのため当院では、脳卒中で倒れた方の1年後のケアをできるようにして、これ以上、日常生活動作が悪化しないようにリハビリテーションの指導を行っています。(維持期あるいは慢性期のリハビリテーションといいます。)

患者さんは近隣の方がほとんどですが、以前開業していた国立市のメディカルモール時代の患者さんも何人かいらっしゃいます。長いもので、もう15年くらいの付き合いになりますね。

お子さんからご高齢の方まで幅広い年代の方が来院するんですね
幅広い年代の方が来院されますはい。ただ、1人で来院する患者さんより、家族同伴で来院される患者さんの方が深刻な症状だと思います。たとえば、1人で来院して「物忘れがする」と言う方と、家族が同伴して「物忘れをする」という患者さんでは、症状の重さがまったく異なります。

お子さんは、もちろん家族同伴で来る方がほとんどです。お子さんの診療となると、お子さんだけでなく、親御さんも同じくらいガチガチに緊張しています。話を聞いていくうちに徐々に緊張がとけて本人が走り回り、それを見た親御さんもホッとして帰宅されます。お子さん1人でも、2人分診察しているような感じですね(笑)。

お子さんは「頭をぶつけてコブができた」という理由での来院が多いですが、検査が必要ないケースがほとんどです。万が一のことを考え、受診日の夜に「体調はいかがですか?明日また来てくださいね」と電話をしています。そうすると、お母さんも、何より私も安心します。

あのときは大変だったな、という経験はありますか?
若い頃は下っ端として手術や診療の助手しかできませんでした脳外科医として手術をしていた頃は「脳外科医としての苦労」しかありませんでした。若い頃は下っ端として手術や診療の助手しかできませんでした。チーフの立場になると「後輩を育てなければならない」と同時に「自分も伸びなければならない」ため、責任が大きく、つらいこともたくさんありました。

脳外科の手術をしていた頃は「手術がうまくいった/いかない」という視点が主体で、患者さん本人との情報共有は希薄でした。まさに、脳外科医は客観的立場にいなくてはならないのです。術後の経過で心配事があっても、患者さんに電話をするのではなく、病棟に電話をして状況を確認するのが普通でした。

開業してからは患者さんやご家族とお話しする時間ができて、家庭環境などのさまざまな情報を共有できるようになり、患者さんとの距離や付き合い方が大きく変わりました。医者としてのエネルギーの使い方がまったく違いますね。

国立市から世田谷に移転した経緯をお聞かせください
数年前までは自分のことを「脳外科専門医」と言っていました。国立市のメディカルモールにいたとき、患者さんが「眼医者に行った」「歯医者に行った」「医者に行った」と言うのを聞き、私はこの「医者」という言葉に違和感を覚え、少し嫌な気持ちがありました。しかし、世田谷に移転してからはそのこだわりがなくなり、自分のことを「お医者」と言えるようになりました。

前までは「脳外科専門医」という変なプライドがありましたが、今は「町のお医者」という言葉がしっくりくる気がします。あと15年くらいは診療を続けていきたいですから、それでも患者さんが来てくれるクリニックでありたいと思います。

診察室受付


「お医者」という考えに至ったきっかけはどのようなことだったのでしょうか?
国立市で開業したときから「お医者」という気持ちはありました。しかし、当時は脳外科クリニックが少なく、希少だからと大切にされた為かなかなか「お医者」と言うことができなかったんです。往診や患者さんへの時間外の電話も「家が遠いから」などの理由をつけて行っていませんでした。

そういう「殿様診療ではいけない」と思い、心機一転、職住接近のこの地に移転しました。ここでは、心配な患者さんには個人の電話番号を渡し「夜中でも連絡していいよ、往診もするからね」と伝えています。些細なことでも、安心してもらえるのであれば続けていきたいと思います。

診療面で気をつけていることはありますか?
「一人ひとりに合った治療をする」こと「一人ひとりに合った治療をする」こと。予防や治療には、統計学的に「この薬をこの量だけ飲めば、こういう結果を得られる」というエビデンスが示されています。

しかし、リスクや家庭環境は一人ひとり違うため、一律に「この薬を使う」という治療ではなく、その人に合ったオーダーメイドの治療をしています。

たとえば物忘れの患者さん。全員に同じ薬を処方するのではなく「リハビリがよい」「孤立させない方がよい」などの色々な方法を考えます。あとは「話をしに来てね」「遊びに来てね」と、その方の家庭環境からどの治療が一番よいかを考えて治療を行っています。副作用も多いので、処方する薬もまずは私自身で試しています。

担当医の診療が3か月に一度ですから、あとの89日を診る医者になりたい先生の思い描く理想の医師像をお聞かせください
基幹病院は担当医の診療が3か月に一度ですから、あとの89日を診る医者になりたいと思います。手術が必要ないと診断されても、心配事はあるはずです。その方たちを安心させてあげたい。私も脳外科医ですから、来院していただければアドバイスをします。

また「往診」よりも、高齢者の「看取り」をしてあげたいと考えています。私が元気であれば、まだまだ診療をしたい。77歳になって患者さんを看取りながらそのお宅で自分も死んでいく、が理想ですね(笑)。

余談ですが、開業されている40~60代の先生は、専門性が高い方が多いです。内視鏡の技術も驚くほど高い先生がたくさんいらっしゃいます。町医者も捨てたもんじゃないと思いますよ(笑)。

院長プロフィール八塚如院長<経歴>
1978年 東京慈恵会医科大学卒業

1999年 国立市でやつづか脳・神経クリニック開設

2005年 医療法人社団如心会設立

2013年 やつづか脳・神経クリニック閉院

2013年 医療法人社団如心会移転

2013年 等々力脳神経外科開院

<資格>
医学博士
医療法人社団如心会理事長
日本脳神経外科学会専門医

等々力脳神経外科 アクセスマップ

住所 東京都世田谷区等々力4-9-3-101
電話番号 03-6432-2332
アクセス 東急大井町線 尾山台駅から徒歩2分
診療科目 脳神経外科・循環器科・神経内科・リハビリテーション
診療時間 9:00~12:30/14:00~17:30
休診日 火曜、土曜午後、日曜、祝祭日
主力検査機器 マルチスライスCT機器、超音波検査機器

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碑文谷クリニック 永野 修院長 (学芸大学) インタビュー

「痛みの専門家に聞く痛みと上手に付き合う方法とは」 碑文谷クリニック 永野 修院長
1986年の開業以来、痛みの専門家(ペインクリニック)として地域の患者さんを支える碑文谷クリニック。やさしい口調で「治りたい気持ちを後押しするのが仕事」と語る永野院長は、笑顔が印象的な先生だ。

頭より足の先までのどこにでも生じるさまざまな痛みに、時として長期間にわたり悩まされ、どうしても痛みがとれない人は、「痛みと上手に付き合っていく」という考え方を持つことも必要だと先生は言う。そのためにはどうすればよいのか。具体的な治療法、それを裏打ちする永野先生の診療理念など、多くのお話を伺った。

永野 修院長インタビュー地域医療ですので、移転をするということは考えたことがありません。昭和61年に開設とのことですが、移転もなくずっとこの場所で診療しているのですか?また、なぜこの地を選んだのでしょうか?
あくまで「地域医療」ですので、移転をするということは考えたことがありません。自分を頼りにしてくれた患者さんをしっかり診ていくという責務もあるためです。この地に開業を決めた理由は、この近くの目黒本町に長く住んで病院勤務をいたこともあり、住み慣れた目黒区に住宅と開業の地を探していたことです。また、私の田舎は土佐の高知なので、羽田からのアクセスがよい土地柄ということも物件を選ぶ条件の1つでした。

当院は職住一体の物件で、建設時に高度制限や諸々の問題があって診療所を半地下にせざるを得ませんでした。お年寄りの患者さんにはバリアフリーの点からは問題がありますが、半地下という居住空間は、夏は涼しく冬は温かいので、意外と便利な面もありますよ。冬には、2階の自宅にいるより診療所にいたほうが温かいぐらいです(笑)。

どのような患者さんが多いのでしょうか?
開業した当初は「ペインクリニック」という診療科が珍しかったこともあり、近隣以外からも多くの患者さんが来院されました。しかし最近では、ペインクリニックも浸透し開業医も増えたこともあり、近隣の患者さんが主たる治療対象になっています。そういった方々には、腰が痛い、膝が痛いなど経過の長い慢性的な痛みを抱えている患者さんが多いですね。

貴院で行っている「神経ブロック療法」とはどういったものなのでしょうか?
簡単に言えば、痛みの原因となっている部位からその痛みを認識する脳までの伝達回路をどこかで遮断(ブロック)することです。「痛み」というのは、人間にとって体の異常を知らせる重要な情報です。そのため、痛みの原因を探さず、安易に痛みのみを取り去ってはいけません。しかし、膝や腰の骨が変形することで出てくる痛みなどは、体にとってはいつまでも必要な情報とはいえず、日常生活に支障のないように取り除くことが必要です。この不必要な痛みをどうやって軽減させることができるかが問題です。

神経ブロック療法とは痛みに対処する方法は、西洋医学的な手法から、東洋医学的な漢方や鍼灸、また代替療法としての指圧・整体・カイロプラクティックなどと様々な治療方法があります。我々ペインクリニック外来で行うのは、「神経ブロック」を主体とした様々な治療を行いますが、作用機序の異なる種々の薬を使った薬物療法なども行います。

よく「"局所麻酔"と"神経ブロック療法"は何が違うのか」という疑問をお持ちの方がいらっしゃいますが、やることは同じと言えば同じです。手術や検査に伴う痛みに対応するのが麻酔行為であり、痛みの治療に対応する行為を神経ブロック療法だと思ってください。どちらも一時的に痛みを感じなくする点では同じです。

痛みの不思議なところは、一時的にでも痛みをなくしてしまうと、局所麻酔薬の効果が無くなった時点で痛みを感じたとしても、もともと感じていた10の痛みが6や5の痛みに変わっています。それを繰り返していくことで痛みが軽減していくのです。神経ブロックには、局所麻酔薬を使う方法のほかにも、神経破壊薬と言われるアルコールなどを使ったり、熱や高周波といった物理的な刺激を加えて神経を遮断したりすることもありますが、このような手段を取るときには患者さんに十分説明をして治療がなされます。

なぜペインクリニックを専門にしたのか、また、開業を決意した経緯を教えてください
麻酔科の仕事には、手術時に行う麻酔、重症患者のICU(集中治療室)での管理、心肺蘇生術、痛みの外来(ペインクリニック)などがあります。麻酔管理は、外科医が手術を行う際に依頼されて行うものです。全身麻酔管理を病院と契約して開業している方もいますが、麻酔科医が開業しようとすれば、痛みの外来治療(ペインクリニック)を行うことが一般的です。

私は大学付属病院に麻酔科医として勤務していましたが、医局員は時には関連病院へ数年間出向ということがあります。組織の中ではそれを拒否することもできませんし、立場が上にいくにしたがって次のステップを考えるようになります。自分のやりたいことを続けるには開業しかないと思い開業医になる道を選択しました。

家業して医院も間もなく30年近くとなり、私自身もこの先のことを考えなければならなくなりました。開業当初のようにバリバリと診療するのがつらいときもあり、診療時間や診療スタイルなどを変える時期に来ているのではないかと思っているところです。

家業して医院も間もなく30年近く

先生のお子さんもドクターとのことですが、承継はされないのでしょうか?
それも思案中の問題の1つです。息子は消化器内科を専門としていますが、この大都会のクリニックが乱立する中で、特殊性のない科で開業するのはいかがなものかとも思ったりもしています。

院内写真認定証

医師数は増えていますが、本当の過疎地や諸島地域では未だに医師不足だというのが現状です。自治医大は、医師免許取得後に各地域へ行くことを条件に、学費を優遇するなどの取り組みを行っているようです。研修が終わった若手ドクターを医師不足の地域で迎え入れる、もしくは年輩の医師が、医師不足の地域で診療ができるように優遇するなどの施策があっても良いのではないかと思ったりしています。

アトピー性疾患もペインクリニックの対象疾患となるのでしょうか?
アトピー性疾患は、ある段階になると自律神経のバランスが崩れていることが多く認められる病気には、しこりや潰瘍ができるといったように「体の組織に器質的異常をきたす病気」と「体の機能的な働きに異常をきたす病気」の2種類があります。体の機能的な面は自律神経系がバランスをとっています。アトピー性疾患は、ある段階になると自律神経のバランスが崩れていることが多く認められ、ペインクリニックを受診されることがあります。

我々は、星状神経節ブロックという治療を試みます。これは、首にある交感神経節に局所麻酔を打ち、交感神経の緊張を緩めることにより、身体全体の血流を改善することで自然治癒力を高めるという手法です。

アトピ―性疾患に自律神経機能が大きく関与していることに間違いはありませんので、主たるアレルギーの原因を探りながらの対応となります。皮膚科的治療で改善しない方などは「星状神経節ブロック」という手法もあることを知っていただきたいと思います。

先生からのお言葉に「医学的処置と併せて"自分の力で治してみせる"という意気込みが大事」とありますが、そういったアドバイスなどにも注力しているということでしょうか?
基本的に我々は、患者さんの"治りたい気持ち" を後押しするのが仕事です。そのためには患者さん自身の協力も必要です。たとえば、タバコを吸うと血管が収縮し血液の流れが悪くなり、症状の回復の妨げになりますので、禁煙指導もします。膝の痛みを訴える方で肥満体型であれば、減量の話をしたり運動を促したりと、日々の生活から改善していくアドバイスをするのも私の仕事だと思っています。

日々の生活から改善していくアドバイスをするのも私の仕事だと思っています

また、腰痛の治療には、神経ブロック以外にもたくさんの治療法がありますが、私のメインは神経ブロック療法ですから、基本的にはそれに同意いただけるようしっかり話し合います。生活指導や運動療法から始まり、薬物療法や理学療法にもチャレンジしてみる。それでも改善しないケースでは、各種手術療法の特徴なども説明します。それらをとおして、我々医療側にできることと、患者さん自身にできることを明確にします。治療手段の選択には段階があり、今の自分に合った治療を選択することが大切です。最良と考えられる治療に出会えるように「一緒にコツコツと頑張りましょう」とお伝えしています。

そうなると1人の患者さんと長期にわたってお付き合いされるのでしょうか?
そうですね。風邪などの急性的な病気は別として、基本的に「病気は治らないもの」だと私は思っています。糖尿病をはじめとする生活習慣病などはよい例で、油断をすればすぐにでも悪くなります。また、腰痛やヘルニアの患者さんも、治療して一時的にはよくなっても何かの拍子に再発する可能性は高く、いわゆる腰に爆弾を抱えているようなものです。生活習慣を正しく保ち日々の運動を欠かさずになさることが、爆発を未然に防ぐ唯一の手段です。

医師をしていてよかったと思う経験はありますか?
時折、手紙をくださる患者さんやお礼を言いにわざわざ来てくれる方がいます患者さんの痛みが、治療によって軽減し「楽になりました」と言って帰られるときです。あとは、患者さんが「あのときはありがとうございました」と顔を見せに来てくれたときでしょうか。普通は、元気になったらその病院に行くことはないですよね?それでも時折、手紙をくださる患者さんやお礼を言いにわざわざ来てくれる方がいます。

我々医者を含め、「先生」と呼ばれる職業に携わっている方々は、何か後ろ髪を引かれる想いをいつもしているのではないでしょうか。学校の先生は、生徒が卒業後にどうなったのかが気になりますよね。弁護士も、自分が担当した人は幸せになったのかと気になっているはずです。我々医者は、自分が行った処置・対応を「あれでよかったのであろうか」、「あの患者さんは元気になったのだろうか」とかいつも思いながら毎日を過ごしているものです。ですから、元気なったという報告や、時には顔を見せてくれてくださることが我々への最高のプレゼントです(笑)。

今後の展望などをお聞かせください
私も70歳を越えましたが、地域の町医者としてもう少しやってみようとは思っています。当院では患者さんを「〇〇様」と呼ばないようにしています。それは、患者様でもお医者様でもなく、患者さんとお医者さんの関係が好ましいと思っているからです。医師と患者には上下関係はなく、フラットな関係だからこそ話せることもあるのではないかと思っています。

そのため、今では白衣も着ないようにしています。白衣を見ると、どうしても緊張してしまうものですからね。もちろん白衣を着て「凛とした姿がよい」とされる場合もありますが、こういったフレンドリーな医師がいてもよいと思うのですが。これからも、このスタイルで診療していこうと思っています。

院長プロフィール永野 修院長<経歴・資格>
東京慈恵会医科大学卒業
ペインクリニック認定医
(元)麻酔専門医
日医認定産業医

<学位論文>
「各種静脈麻酔薬の肺循環に及ぼす臨床的検討」 昭和56年12月28日

碑文谷クリニック 基本情報

住所 目黒区碑文谷6-8-20
電話番号 03-3715-6633
診療科目 ペインクリニック(麻酔科)・内科
診療時間 9:30~12:30/16:00~19:00
休診日 木曜、土曜午後、日曜、祝祭日
アクセス 学芸大学駅より徒歩4分

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佐々木歯科医院 佐々木 高憲院長 (渋谷) インタビュー

「40年以上のキャリアを持つ。国内外で活躍する歯内療法のスペシャリスト」佐々木歯科医院 佐々木 高憲 院長

日本有数の大都市渋谷の地で、30年以上地域の患者さんを支える佐々木歯科医院の佐々木先生。歯内療法のスペシャリストとして「歯を残す治療」を念頭に、患者さんと真摯に向き合い、歯科用CTや顕微鏡などの最新機器を用いて治療にあたっている。

近隣以外からも長年通う患者さんが多いそうだが、きっと、佐々木先生のベテランならではのていねいな口調と優しい笑顔、そして確かな技術に信頼を寄せているのだと強く感じた。歯科治療の根本となる「歯を残す治療(歯内療法)」に専念することとなったキッカケや、長年の経験があるからこそわかる歯科医院選びのポイントなど、さまざまなことをお伺いした。

佐々木 高憲院長インタビュー歯内療法とは?歯内療法学会発足時の会員で指導医の資格もお持ちとのことですが、歯内療法とはどういった治療なのでしょうか?
狭い意味では「根管治療」といって、歯の根っこの治療です。神経を抜いたり、虫歯が再発しないように根をキレイにしたりする治療です。

広い意味で言えば「神経を残す治療」も含まれます。虫歯が進行しないように処置をしますが、その際むやみに神経を取ったり歯を抜いたりはせず、可能な限り神経を残すことを目指しているのも歯内療法です。神経を取ると痛みを感じなくなりますが、歯の寿命は短くなります。

歯内療法を専門としたキッカケを教えてください
ちょうど私が大学を卒業した頃、陶材焼付鋳造冠(PFM)と呼ばれる被せ物が広まりました。もちろん被せ物自体はよいものだと思います。しかし、どんなによい被せ物をしても、その土台となる歯の治療をしっかりしなければあとでトラブルが出てきます。そう考えるようになり、歯内療法の重要性を感じました。

歯内療法を専門としたキッカケ当時は「歯内療法学会」というものもなく、大谷満先生が立ち上げた大谷歯内療法研究会の初期のメンバーとして加わり、研究を続けていました。今ではその研究会も「日本歯内療法学会」となり、会員も2,000人以上。歯内療法という考え方も浸透してきたように感じます。

日本では歯内療法を保険で行う先生が大半ですが、アメリカではほとんどが自費です。日本の保険では、1本の歯を「残す」ことに対する保険点数が低い代わりに、高額な被せ物がたくさんあります。歯を残す処置をしっかりと施した上で、被せ物をつけるための値段設定だと思ってください。一方アメリカでは、1本の歯を「残す」ことに対する費用は高額です。そのため、残す処置をするのとインプラントにするのも値段が変わらない場合が多く、すぐに抜いてしまうことがあります。

日本でも各ドクターの得意分野によって見解や処置の仕方は異なります。しかし「残せる歯を抜いてインプラントにする」という症例を目にすると、歯内療法の視点から見て「残念だなぁ」と思うこともあります。

賞状が飾ってありますが、先生は海外でも活動されているんですね
海外でも活動これでも一応、米国歯内療法学会の正会員なんです。何度かアメリカに足を運んで勉強しています。あとは日曜など、講習会や勉強会によく行っています。ただ私も歳なので、1週間のちょうど真ん中の水曜日に休みをとっています(笑)。

1日に診療する患者さんは少ないとのことですが、どのような患者さんが来られますか?
海突然いらっしゃる新しい患者さんはお断りしているんです今は1日に14~15人くらいです。残念ながら手いっぱいで「ネットを見て」とか突然いらっしゃる新しい患者さんはお断りしているんです。患者さんからの紹介や、ほかのドクターからの紹介で来る患者さんを診ている形です。

この近隣からいらっしゃる患者さんはほとんどいませんが、以前、医院を構えていた池尻大橋から通ってくれる患者さんが比較的多いです。電車が開通してから便利になって、患者さんも助かると言っていました。

最近では、少し離れたところに引っ越しても通ってくれたり、そのまた子どもが通ってくれたりなど、段々と範囲が広がってきています。あまりに遠方の患者さんは、通院の負担を少なくするため、お住まいの近くで信頼のおける先生を紹介しています。

池尻大橋から渋谷に移転した理由は何だったのでしょうか?
以前は、東京オリンピックのときにできたビルに入っていました。しかし突貫工事だったのか、診療中にビルが揺れるんです。患者さんには「先生、揺れていない?地震!?」なんて言われることもよくありました(笑)。

診療室も北向きで陽が射さないため「どこかないかなぁ」と探していました。そんなときにここの情報を聞いて、移転してきました。昔は、駅から道玄坂を登る必要がありましたが、最近ではマークシティが近くにできて駅に直結しているため、非常に便利になり助かっています。

長年続けてきた中で、先生のポリシーや気をつけていることを教えてください
得意な歯内療法でできる限り神経を残す、そして根管治療で歯を残すことだけ考えてやってきただけです。

あるとき、他院で「抜かなきゃだめ」と言われた患者さんを診たことがありました。ところが、指摘された歯はどう見ても「まったく問題のない歯」。もちろん患者さんにはありのままを伝えました。結果的に患者さんは大切な自分の歯を抜かずに済み、その後何年も無事に過ごされています。

私が特に何かをしたわけではありませんが「歯を残す」ことを念頭に置いて診療していますから、患者さんにとっては大きなプラスとなったのではないでしょうか。

佐々木歯科医院院内

長年歯科医師として現場に立っていて、つらい経験はありましたか?
正直、毎日つらいですねぇ(笑)。強いて言えば、自分の理想の治療に到達できないことです。長年現場に立ち、完璧を追い求めて診療してきても「まだまだ到達できない」と感じます。だからこそ、自分をある程度知る必要があると思っています。自分の不得意な分野は得意な先生に協力を仰ぐことが重要で、すべてを1人でやろうとしないこと。無医村など、ほかのドクターがいないところでは頼れませんので、そういったところで診療している先生は本当に尊敬します。協力を仰げるのであれば、ほかのドクターに協力してもらうべきだと私は思います。

患者さんがドクター同士の協力体制や連携体制の有無を見分けるのは難しいと思いますが、どうすればわかるのでしょうか?
学会に所属していること確かにそれは難しいところですね。目安の1つは、学会に所属していること。所属していれば、その学会内でドクター同士の紹介や協力を仰ぐことはある程度可能なはずです。

ほかの目安として、そのドクターが学会で活躍しているかを見るとよいかもしれません。大抵の学会は、お金を払えばどの歯科医師も会員になることができます。会費だけ払って学会には参加しないという先生もたくさんいますので、そうした先生の協力体制は希薄でしょう。

学会内で何かの役職に就いている、専門医であるなど、その学会の中でしっかりと取り組んでいる先生を選ぶと、協力体制を期待しやすいかもしれません。

先生が思う、よいクリニック選びのポイントを教えてください
ドクター同士の協力体制も必要ですが、虫歯にならない予防方法についても教えてくれる先生がよいでしょう。どんなによい治療をしても、患者さん自身がお口の中を管理できなければ意味がありません。その重要性をしっかりと説明してくれて、それに納得できる医院に通うのがよいと思います。

あとは、自分の年齢よりも少し若いドクターを主治医とすることをオススメします。自分より先に医院が閉まってしまうと大変ですからね(笑)。

院長プロフィール佐々木 高憲院長<経歴>
1972年 東京歯科大学卒業
1972年 江東区田村歯科医院勤務
1976年 世田谷区で佐々木歯科医院開院
1981年 渋谷区に佐々木歯科医院移転

<所属学会・資格>
歯学博士
米国歯内療法学会正会員No.3884
日本歯内療法学会認定指導医N0.12
関東歯内療法学会理事
日本顎咬合学会認定医
国際歯科学士会日本部会会員
日本口腔インプラント学会会員

佐々木歯科医院 基本情報

住所 東京都渋谷区道玄坂2-11-3
電話番号 03-3496-2688
診療科目 一般歯科、審美歯科、歯内療法
診療時間 9:00~13:00/14:00~18:00
休診日 水曜、日曜、祝祭日
アクセス マークシティ 道玄坂上出口より目の前

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山本英博クリニック 山本 英博院長 (渋谷) インタビュー

「多汗症治療の第一人者。代償性発汗治療にかける想い」山本英博クリニック 山本 英博院長

手汗や多汗症の専門外来として多くの患者さんの治療に携わり、症例数は10,000件を超えるという山本先生。全国でも数少ない「代償性発汗治療」のスペシャリストでもあり、患者さんへ向けた教室も開催している。

研究開始当時は「異端」として冷たい眼差しを受けながらもなぜ研究を続けたのか。「代償性発汗の治療は、患者さんにとって"最後に掴む藁"なんです。私がここで投げ出したら、患者さんの最後の希望を断ち切ることになってしまいます。」そう語る山本先生。患者さんと真摯に向き合う姿勢とユーモア溢れるトークが印象的な山本先生から、多汗症治療開始の経緯と治療にかける想いなど、たっぷりとお話を伺った。

山本 英博院長インタビュー「多汗症」とは具体的にどういったものですか?
多汗症まず多汗症の特徴として、季節に関わらず冬でも症状がみられること。緊張や精神性刺激に左右されるもので、単に発汗量が多いだけではありません。発汗するときとしないときの差が大きいのです。

また多汗症は、幼少期から症状が出始めます。というのも、本来備わっている発汗機能の問題で、大人になってから発症するというものではありません。

もともと呼吸器外科とのことですが、なぜ多汗症治療の分野に進んだのでしょうか?
1985年に呼吸器外科の教室に入っていたとき、多汗症治療というのはありませんでした。日本では1996年から多汗症治療が保険適用となり、大学病院で多汗症治療を始めると、今まで悩みを抱えていた患者さんがたくさんいらしたのを覚えています。

多汗症治療は内視鏡を使った治療法なのですが、大きな病院以外で内視鏡の治療をしているところはありませんでした。私のいた大学で多汗症の内視鏡治療にあたっていたのは、私一人ぐらいでした。当初、多汗症治療を含め内視鏡治療は「最新」というより「異端」という扱いでしたから、みんなの眼差しが冷たかったのを覚えていますよ(笑)。

呼吸器外科1998年に2mmの切開1か所で手術が可能となった(右写真)のをきっかけに、多汗症治療の患者さんが増えてきました。当初、私は肺がんの手術も受け持っていましたが、最終的には肺がん治療の患者数を追い抜き、初期の頃の10倍くらいの患者数となりました。

ただ、症例数が増えていくと副作用も出てきます。治療箇所とは別の部位から多量の発汗をする「代償性発汗」というものが、3~8%ぐらいの患者さんに見られるようになりました。

すべての患者さんをハッピーにしようと手術に臨み、最善を尽くしてもそれによって副作用が出てきてしまう。理想と現実の狭間で、多くのドクターがこの分野から去っていきました。しかし私は、患者さんの一人に「なんとか治療してほしい、先生の活躍に期待している」と声をかけてもらったことがきっかけで「トコトンまで取り組まなければならない」と思いました。しかし、ここでまた新たな壁が立ちはだかりました。

治療成果を数学的に検証するには、相当多数の症例数が必要です。しかし代償性発汗は、100人治療して数人しか発症しない副作用。肺がん治療などとの掛け持ちでは、必然的に症例数が不足します。それならば「多汗症専門でいくしかない」と思い、大阪に医院を構えました。現在は東京の渋谷に医院を構え、症例数も11,000例を超えました。

多汗症専門外来

3~8%の患者さんに発症する代償性発汗は、治療技術に関係なく発症してしまうのでしょうか?
3~8%の患者さんに発症する代償性発汗は、治療技術に関係なく発症してしまうのでしょうか?はい。手術する部位や処置の場所を変えることで、数値に若干の変化が現れます。しかし現代医学では、代償性発汗の発症数はゼロにはならないと思います。というのも、患者さんによって神経回路は異なりますし、代償性発汗の発症する要因がはっきりと解明されていないからです。

とはいえ、鼠径部から上の汗に関しては把握できています。これは私が多くの治療に携わってわかったことですが、教科書の記載に間違いがあるのではないかと感じることもあります。

多汗症治療は、内視鏡手術の中でも容易な手術という分類でした。しかし実際には奥が深く、代償性発汗が発症すれば「治っていないじゃないか」とクレームを受けることもあります。それで、治療をし続けるドクターが減ってしまいました。

代償性発汗しかしここで私まで治療をやめてしまったら、代償性発汗や多汗症に悩む患者さんの願い・期待を断ち切ることとなってしまいます。代償性発汗は悪性疾患ではないため、亡くなることはありません。だからこそ、しっかりと完治するまで向き合い、多汗症治療を投げ出したくないと思っています。

しっかりと向き合い、患者さんと共に試行錯誤することで結果が出てくることもあります。今では患者さんからキツイお言葉をいただいても「先生、頼むよ、もっと頑張ってくれ」という「叱咤激励」だと思えますね。

代償性発汗の治療が可能となってきた背景にはどのようなことがあったのでしょうか?
代償性発汗の治療神経回路は若干異なるためすべての患者さんに100%当てはまるものではありませんが、症例を積み重ねることでだんだんと体全体の回路図もわかってきました。体発汗に関係する交感神経は、200平方センチメートル程度の皮膚の面積をモザイク状に支配しているのではないかというところまで突き詰めてきました。

手術中には、交感神経を順番に刺激して血流量の変化を観察するなど、さまざまなことを行います。多くの先生はここまで行わないと思います。私にとってこの代償性発汗の治療は「患者さんが最後に掴む藁」だと思っています。どんな手術でも空振りは許されません。この治療は特にそうだと思います。そんな思いで、私は治療に臨んでいます。

治療の課題点などはありますか?
「解決した」と言える一定レベルまできたと思いますが「克服した」と言うには難しい側面はあります。それは、すべての人に同様の手術を行えないという点。患者さんによっては、血管と神経が非常に近かったり癒着がみられたりするときは、神経刺激や切除などの処置が困難な場合があります。開胸手術であれば解決できる例もたくさんありますが、大きく切開すると胸壁の運動障害などのデメリットもあり、多汗症治療のメリットがなくなってしまうことが難点です。

現在も皮膚切開は3mm程度のneedle surgeryで行っているため、開胸手術に比べて手術操作の自由度が少ないことが課題と言えます。手術器具の工夫を重ね、開胸手術より優れた内容もありますが、まだ及ばない部分も残っています。

また、代償性発汗に至るまでの経緯が完全には解明されていないという課題もあります。これまでの代償性発汗の手術では、別の交感神経を切除し、その神経を用いて多汗症治療で切断した神経を再建します。しかし、新たに神経を切断したことが有効だったのか、再建したことが有効だったのかは未だに決着していません。また、人によって異なる神経回路を見極めるのは非常に大変です。そのため、患者さんごとに神経回路を把握し、多汗症治療の副作用(代償性発汗)をなくしていくことが今後の課題です。

治療の課題点たくさんの患者さんに協力していただいたからこそ、ここまで解明できてきました。昔は本当に「節度ある医者は、この治療はやめるものだ」と言われていましたよ(笑)。でも「先生、やめないでくれ」って患者さんからも言われましたし...。

女性では、化粧ができないなど、目指す仕事に就きたいのに多汗症が原因で苦労をする患者さんもいらっしゃいました。あるとき「本当は美容系の仕事に就きたいのに、手汗が原因で本当に苦労しているんです」と診察室で涙を流す方がいました。今は着実に解決策も見えてきましたし、この治療に携わってきてよかったと本当に思います。多汗症治療において、より少ない手術侵襲で、よりよい治療成績を目指していきたいと考えています。

院長プロフィール山本英博 院長
<経歴>
1985年 神戸大学医学部卒業
      神戸大学医学部第二外科講座に入局
       姫路循環器病センター・心臓血管外科(研修医)
1986年 新日鉄広畑製作所病院・外科(研修医)
1988年 神戸大学医学部第二外科(医員)
1990年 国立療養所兵庫中央病院・呼吸器外科(医員)
1993年 国立癌センター呼吸器外科研修・学位取得
1994年 国立療養所兵庫中央病院呼吸器外科医長
1995年 神戸大学医学部第二外科講座助手
1998年 日本呼吸器外科学会指導医取得
2000年 Carl -Storz賞(日本内視鏡外科学会賞)
2002年 神戸大学医学部第二外科講座講師
       山本・兼平クリニック 開業(多汗症治療を専門として診療を行う)
2008年 山本英博クリニックに改名

<資格等>
日本呼吸器外科学会評議員・指導医
日本内視鏡外科学会評議員
Needlescopic surgery研究会 世話人
Kobe Endoscopic High Technology Conference 世話人

山本英博クリニック 基本情報

住所 東京都渋谷区道玄坂2-28-4 イモンビル7階
電話番号 03-5459-5062
アクセス JR山手線 渋谷駅より徒歩5分
診療科目 多汗症
診療時間 月・火・土曜10:00~12:00/金曜16:00~18:00(土日は手術日)
休診日 水曜、木曜

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まがり医院 曲 惠介院長 (四谷三丁目) インタビュー

「地域のホームドクターが語る  腰を据えた治療の大切さ」 まがり医院 曲惠介院長
四谷三丁目駅と曙橋駅の両方からアクセスしやすい場所に位置するまがり医院は、開業から15年を越えるアットホームな医院だ。リニューアルしたという院内は、ウッドテイストの落ち着いた雰囲気。患者さんのことを考えた、点滴用のチェアも完備されている。また、院内処方を行っており、わざわざ薬局へ行くことなく薬を受け取れるのも特徴だ。

「しっかりと腰を据えて治療をすることが大事」と語る曲先生は、それだけしっかりと患者さんに向き合い、必要があれば時間外診療も行っているという。まさに『地域のホームドクター』として患者さんを支えている。患者さんに支持され続ける秘訣やアクティブな休日の過ごし方、ジェネリック医薬品についてのお話などを伺った。

曲 惠介院長インタビュー開業してからもうすぐ20年キレイな院内ですね。内装にもこだわりがあったのでしょうか?
開業してからもうすぐ20年ですが、数年前に院内をリニューアルしました。リニューアル前の待合室は今の1/3程度ととても狭く、10人来たらいっぱいだったんです。さすがに「もう数人待てるようにしないとだめだな」と思い、診察室を少し削って待合室の方に振り分けました。おかげさまで、患者さんからは「広いし、キレイになったね!」ととても好評でした。

なぜこの地に開業されたのでしょうか?
当時通っていた東京医大が近かったからです。大学生の頃はこの辺りを部活で走っていましたし、四ツ谷駅から大学の寮へ帰るときに通っていたので、大体この場所は知っていました。開院する場所を探していたとき、たまたまこの場所が出てきたのでここに決めました。

ちなみに、大学時代の部活仲間も皆医者になっているのですが、懐かしいからって荒木町に来たがるので、土曜日の夜は仲間たちと集うことが多いです。最近も「誰が、今どうしている」っていう話で盛り上がりました(笑)。

受付診察室

この地で開院されて長いですが、患者さんに支持されている秘訣は何でしょう?
時間外でも診る医院の上が住まいということもあり、時間外でも診ることですね。以前に比べると時間外に来る患者さんは減りましたが、まだいらっしゃいます。それも、手を切っちゃったとか腕の骨を折っちゃったとか、本当に急を要する方がいらっしゃいます。

最近多いのは尿管結石です。あとは心筋梗塞とか。普段から「心筋梗塞の症状が出たときは医院まで歩いてきちゃダメだよ、タクシーで来てね」と言っているのに、ほとんどの方が歩いて来ます。イスに座らせた途端に心臓が止まり、カウンターショックを行って、心臓マッサージをしながら救急車に乗せて病院へ、なんてこともあります。皆さんも万が一心筋梗塞が起こったときは、危ないので救急車を呼んでくださいね。

ドクターになったきっかけは何だったのでしょうか。ご両親の影響でしょうか?
うちは祖父の代から医者なんです。小さい頃から「医者にならなきゃだめだよ」ってずっと言われてきました。それなら挑戦してみよう!と思ったことがキッカケですね。実は、自分の親が医者だと知ったのは、両親が開業したとき。そのときは小学校2~3年生くらいでしたが、それまで「両親は何の仕事をしているんだろう?」って思っていました(笑)。

血管年齢を調べてほしい、胸が苦しい、生活習慣病、といった患者さんが増えていますどのような患者さんが多いのでしょうか?
最近だと、血管年齢を調べてほしい、胸が苦しい、生活習慣病、といった患者さんが増えています。そういった患者さんの大半は会社の帰りなどにいらっしゃいますが、専門である循環器の治療はインターネットで調べてくる方が多い印象です。また、当院は院内処方を行っていますので、最近では院外処方をしているクリニックから流れてくる患者さんが多いような気もします。

お薬にはジェネリックとオリジナル(新薬)がありますが、効能に違いはあるのでしょうか?
成分が一緒というだけで、薬を固めるための基材などはまったく違いますジェネリックとオリジナルは成分が一緒というだけで、薬を固めるための基材などはまったく違います。そのため、体に入ってからどこで溶け出すのか、溶けきるのはどれくらいかなど、体の中に吸収される時間が異なります。酷いものになると、溶けずに便の中にそのまま出てくるジェネリックもあるんです。

実際に、ほかのクリニックで処方されたジェネリックを飲んでいる患者さんの薬を全部オリジナルに変えたら、薬の効きが全然違うから飲む量が半分になった、というケースも多々あります。成分が一緒だからといって、効き目が同じとは限りません。そのため当院では、どうしてもジェネリックがよいという場合でなければ処方していません。

院内処方にこだわる理由はありますか?
実は、開業した当時は院外処方にしたかったんです。この近辺は薬局を開く場所がなく、患者さんに薬局まで歩いてもらうのは大変だから薬局が近くにできるまで、と思って院内処方を続けていたらそのままになってしまいました。これまでに何件か「薬局を新しく出すので処方箋をきりませんか?」って言われましたが、すべて道路の向こう側だったため断ってきました。この通りに開いてくれなければ、患者さんを歩かせてしまいますしね。

院内

訪問診療などもありご多忙かと思いますが、休みの日は何をして過ごしますか?
プロ野球の試合を観に行きます以前はゴルフをしていましたが、今は暇がなくて行けません。最近は、たまにプロ野球の試合を観に行きます。私は広島カープのファンで、今年は神宮へ3回、東京ドームへ1回行きました。カープの応援は皆で歌を歌って一体感があるのがとてもいいですね(笑)。

あとは、健康のためにIngressをやっています。スマートフォンのアプリで「目標の場所まで歩いて行き、ミッションを達成してこい」っていうのがあるんです。この四谷界隈は歩きつくしたので、出かけたときには必ず起動しています。前は水泳もやっていましたが、国立競技場がなくなったと同時に、通っていたスイミングスクールもなくなってしまいました。ですから、健康維持のために何かしら運動をするように心がけています。

そのほかには、PCを自分で組み立てるなどの機械いじりも好きですね。先日組み立てたPCは、事務処理に使っています。自分で組み立てた方が、買うより安い・容量に余裕がある・立ち上がりが早い・変なフリーズはしないなど、使い勝手がとてもよいです(笑)。

最近は医学の進歩が早いと聞きますが、勉強会にも行かれているのですか?
循環器の勉強会に行くことが多い勉強会には結構行きます。中でも、やはり循環器の勉強会に行くことが多いです。今や医療の進歩が早いため、講習会や勉強会に1か月行かないと「何を言っているの?」となってしまいます。新しい検査が出たはいいものの、休みの日にしかできない検査や、病院を紹介しなければならない検査もあります。

残念ながら当院ではできない検査もあります。しかし、わからなければほかの病院を紹介できませんので、できない検査もきちんと学んでいます。紹介した病院から「こういう検査をしました」とお知らせが来たときに、知らなければ「何をしたんだ?」となってしまいます。また、紹介した患者さんは必ず戻ってきます。そこで、紹介した病院で言われたことがわからなかったという患者さんに対して、もう一度私が説明しなければなりません。少なくとも、検査結果とデータを判定するだけの知識を持っていなければどうにもなりません。

最後に読者へのメッセージをお願いします
できることなら、気長にしっかり腰を据えて治療に来てください。慢性疾患はその場でパッと判断できませんので、お互いじっくり腰を据えて対応する必要があります。風邪や動悸、頭痛は何とかなりますが、根底に長年蓄積されたものが原因となっているものは、その場で何とかなるものではありません。

あとは、通っているけど治らないからと、クリニックを転々としている患者さんがいらっしゃいます。そうすると、ほかの医院で処方された名前が違う別のメーカーの同じ薬を飲み、血中濃度が倍となり、おかしくなってしまうことが起こります。このようなこともありますので、自己判断せず、じっくり腰を据えて治療に来ていただきたいです。

院長プロフィール曲恵介院長<経歴>
1987年 東京医科大学卒業

1987年 東京医科大学外科大学院 入学

1991年 東京医科大学外科大学院 修了

1991年 東京医科大学八王子医療センター心臓血管外科

1991年 学位受領

1992年 目黒厚生中央病院 循環器科

1993年 東京医科大学外科第二講座 助手

1996年 村越外科・胃腸科・肛門科

1998年 まがり医院 開業

<資格等>
日本外科学会認定医
日本医師会認定産業医
新宿区医師会

まがり医院 アクセスマップ

住所 東京都新宿区荒木町6-34
電話番号 03-5362-5531
アクセス 丸ノ内線「四谷三丁目駅」4番出口より徒歩5分
診療科目 内科・外科・循環器内科・小児科
診療時間 9:00~13:00/15:00~19:00
休診日 金曜、土曜午後、日曜、祝祭日

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サンクリニック原宿 東郷 實元院長 (原宿) インタビュー

患者さんのあらゆる不安に応じたい「町医者としての姿勢に迫る」 サンクリニック原宿 東郷實元院長
明治神宮前駅から徒歩3分の好立地に医院を構える「サンクリニック原宿」は「早期発見」を大事にしているクリニックだ。患者さんの病状により必要な場合は基幹病院専門外来へ速やかに紹介する。

『ある本で呼んだ文章が心に残っています。「歩み寄る人にやすらぎを、去りゆく人には幸せを」という気持ちで診療を続けています。開業医として目指したい境地ですが、人生においてもなかなか難しいことです。』と語る東郷先生に、ドクターになったきっかけや思い出に残るエピソードなど、さまざまなお話を伺った。

東郷 實元院長インタビュー私の曽祖父は明治の始め、西洋人医師に西洋医学を学んだ医師でしたなぜドクターになられたのでしょうか?
私は小学校まで田舎の実家で育ちました。二階への階段の壁は本棚となっており古い手術器具(鉗子・鋏など)や解剖図鑑などの医学本がありました。また、玄関に入り右方に当時としては珍しい「コンクリート造りの大きなトイレ」があり、以前この場所に手術室があったことを知りました。

私の曽祖父は明治の始め、西洋人医師に西洋医学(臨床診療・手術など)を学び、家を継ぐために田舎の実家へ帰り開業しました。最新の医療技術(婦人科・外科手術)と漢方医療が評判な医院となりました。

また、曽祖父は途中で村長に就任しますが、医療現場では多くの患者さんが待っていたため、数ヶ月後に役職を辞し再び医業に専念しました。厳格な曽祖父は患者さんには丁寧な言葉を使い優しかったそうです。

折に触れて両親に曾孫を医師にしてくれと言っていました。高齢となるもその日も遅くまで診療し、深夜急病死しました。その10年後に私が誕生し、高校に入った頃には二度ほど母に医学部進学をすすめられていました。そのようなこともあり、高校二年になると「医者になる」と心に決めていました。

同じ本棚に父が戦前購入したシリーズものの「たくさんの写真入り英語雑誌」が何十冊と並んでいました。小さい頃より踊り場で、英語は分かりませんが写真が面白くて読み耽り眠り込み、気がついたら周りが暗くなっていました。その本に載っていた写真は、自然・産業・文化映画関連・米国内世界各地の大都市などでした。このような経験が米国への研究留学に影響したと思います。

アメリカではどのようなご経験をされたのですか?
1982年米国シアトルでの国際がん会議出席後、病理の恩師・先輩と別れ、一人知人に紹介されたワシントンD.C.隣のべセスダにある米国立がん研究所(National Cancer Institute:NCI)病院の病理部へ向かいました。

院内写真スーパーバイザーは「がんの浸潤・転移」研究室長であり上部組織の病理部の部長でもありました。最初の7ヶ月はゲスト・ワーカー(Guest Worker:無給)でしたが、研究に没頭し徹夜仕事もし、各国から来ている研究者や職員とのコミュニケーションに努めました。その後ビジティング・フェロー(Visiting Fellow:有給)として2年2ヶ月間勤めました。当時日本とインドからの研究者が多く、その真面目な研究態度と成果が評価されていたと思います。

昨今、日本から海外への研究・学生留学が減少していることは、残念なことです。海外生活の経験により広い視野から世界の中の日本を観察し、より深い洞察ができると思います。海外での研究生活は試練が多いですが、勇気を持って挑戦してもらいたいです。

嬉しい思い出としてNIH(National Institutes of Health:国立衛生研究所:NCIはその中の一研究所)の空手クラブから依頼されて、副会長ら10数名に合気道を教える機会に恵まれました。毎週土曜日の午後、約1年間指導をしていく間に、彼らとの親睦・信頼感が築かれました。コミュニケーションは対等のレベルで、相手(滞在する国・人)への敬意・誠意と情熱をもって、より深くなると信じています。

なぜプライマリ・ケアの領域に進んだのですか?
卒業後、臨床医学・基礎分野へと仕事を続け、その後一般病院で勤務しながら、「開業医として多くの患者さんを診察・治療するのみでなく、地域の一員として地域への貢献活動に参加する自分の姿」を思い浮かべるようになりました。地域に密着し、町内会の催しへも出席し、飲食を共に楽しむことは仲間としての間柄となり、また「われわれの町の医者」と呼ばれるのは、ありがたいことです。曽祖父の「開業医としての生き方」、「小さな田舎における地域社会への医療での貢献」などが脳裡に浮かんできます。

多くの患者さんを診察し、手術し、残念ながら多くの方々の最後を看取ってきました思い出に残るエピソードを教えてください
長年医療に携わるどの医師も患者さんについての心に残る多くのエピソードがあると思います。私も多くの患者さんを診察し、手術し、残念ながら多くの方々の最後を看取ってきました。

私が20代の頃、大学病院の外科外来で診察した女性の患者さんは直腸の進行がんでした。入院され私が主治医となり手術の第一助手となりましたが、その後再発され再入院されました。

残念ながらその患者さんの病状は進み最後を看取りました。二人のお子さんは幼く、とくに下のお子さんのことを案じられ、「下の子が小学校に入るまで生きたい」と訴えられた言葉が忘れられません。
早期がんであれば救命できます。内視鏡検査にて消化管ポリープ・早期がんの診断・治療に力を入れました。

以前、午後を休診にしてクリニックから患者さんを搬送したこともあるとか...
院内写真クリニックで外来診療中に、急変する可能性のある患者さんが受診することがあります。胸痛(狭心症・心筋梗塞など)、頭痛・めまい(脳梗塞・くも膜下出血など)その他で、すぐに診断し、専門外来・救急外来へ救急搬送します。

女性の会社員の方は、午前中に軽度の腹痛で受診し、腹部触診も行い処方しました。しかし、午後になり「どうしてもお腹の具合が改善しない」と再び来院され、腹部触診にて「午前中と所見が異なり緊急手術の可能性あり」と判断し、救急車に同乗し基幹病院へ搬送しました。緊急手術となり、無事回復し、退院後クリニックに来られました。

私は一般外科医として救急の現場で働いていました。すばやい対応の重要性をつくづく感じます。

どのような患者さんが多いのでしょうか?
近隣にお住まいの方・勤務の方、遠方から健診で・知人の紹介で来られる方、外国人の方など様々な患者さんが受診されます。転勤されても上京の際、受診される方もいます。ありがたいですね。

戦前・戦後から長く原宿に暮らしている、年齢的に私の先輩の方々に昔話を聞きます。木造建てしもた屋の町並みが写った写真集も見たりします。東京オリンピック以後大きなビルディングが急速に建てられましたが、その前まで原宿駅は乗り降りする人も少なく閑散としていたそうです。そういう先輩の方々、家族の方々がこの原宿の町を守ってきたのですね。長い歴史とともにこの町のすばらしさがあります。
私も原宿の町の一員として、町内会の新年会・納涼会・祭の御輿・年末の防犯パトロールなど参加しています。

医師としてやりがいを感じるのはどのようなときですか?
専門外来へ紹介した患者さんの元気な顔を拝見するときはうれしい専門外来へ紹介した患者さんが、検査・治療を済ませ外来に来られ、元気な顔を拝見するときはうれしいです。町を歩いていても、町内の方々と「笑顔で挨拶する」、「一言二言声をかける」ということが日々の喜びでもあります。

どんな病気でも進行すると治療は大変です。がんを早期発見することで助かる命もあります。当院のような第一線のクリニックの使命もそこにあります。患者さんとのコミュニケーションは重要で、同意を得てがん専門病院への紹介を行っています。当院のスタッフ全員の協力をもって、より良い医療を志しています。


長年続けてきた秘訣を教えてください
医療では患者さんと医療従事者とのコミュニケーションが大事であると思います。患者さんは来院するまで「重い病気だったら」と不安なものです。挨拶と笑顔で迎え、丁寧な言葉遣いを用いる。そして診療をとおして少しでも安心していただきたいと思います。
薬剤についてもより細かな配慮をして、救急外科処置など病院の救急外来が望ましいと判断したらただちに紹介します。

専門外来への予約は患者さんが納得していただいてから紹介状を書きます。また専門用語を多用せず分かりやすい言葉を使い説明します。医師は耳を目を向け「細心の気」を配ることが大事と思っています。人という「人格」に接し、病気を診る。難しい命題でもあります。

診察室

院長プロフィール東郷實元院長<経歴>
1973年3月  鹿児島大学医学部卒

1973年5月  医師国家試験合格

1973年6月  研修医(麻酔科・脳外科・一般外科・心臓外科)

1975年4月  東京慈恵会医科大学第一外科勤務

1976年12月 癌研病院外科 勤務

1978年4月  筑波大学基礎医学群病理にて研究

1982年9月  アメリカ国立癌研究所病理(NCI-NIH) にて研究

1982年3月  医学博士号取得

1986年    癌研病院外科・民間病院勤務
          外科・一般内科・整形外科リハビリテーションなど広範囲の医療に携わる

2000年5月  サンクリニック原宿開院

<専門医>
日本外科学会 外科専門医
日本消化器外科学会 消化器外科専門医

<その他>
渋谷武道クラブ主宰

サンクリニック原宿 アクセスマップ

住所 東京都渋谷区神宮前6-27-8 京セラ原宿ビルB1F
電話番号 03-5766-0257
アクセス JR「原宿駅」より徒歩6分
東京メトロ千代田線「明治神宮前駅」4番出口より徒歩3分
東京メトロ副都心線「明治神宮前駅」7番出口より徒歩2分
診療科目 内科・胃腸科・外科・肛門科・理学療法・AGA・ED
診療時間 9:00~12:30/14:30~17:00(火曜と木曜は17:30まで)
休診日 土曜、日曜、祝祭日

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2016年1月14日

信濃町診療所 矢吹 大輔院長 (信濃町) インタビュー

「スペイン語に対応できるドクター  国際派ドクターの信条」 信濃町診療所 矢吹大輔院長
信濃町駅の改札を出てすぐ目の前のビルにあるのは、お父様から引き継いだという信濃町診療所。スタッフの方が笑顔で迎えてくれる院内にはスペイン語の表記もたくさんあり、多くの外国人の支えとなっていることがわかる。矢吹先生はメキシコの医学部を卒業していることもあり、日本でも数少ない、スペイン語対応可能なドクターだ。

「時間をかけてでも患者さんと向き合う」という姿勢からは、診療に対する誠実さが伝わってくる。地域医療に根差したプライマリ・ケアを信条として多くの患者さんを支えている矢吹先生に、メキシコ留学のお話からプライマリ・ケアを重視するに至った経緯など、さまざまなお話を伺った。

矢吹 大輔院長インタビュー父が医者だったというのが大きな理由ドクターになられたきっかけを教えてください
父が医者だったというのが大きな理由ですね。もともと中目黒方面で開業していましたが、父の友人のつながりでこの信濃町に移転しました。その頃から父の診療所に出入りしていましたが、父からはっきりと「継いでほしい」と言われた記憶はありません。それでも物心つく頃には「自分も医者になるのかな」と思っていました。私は長男なので、今思えば自然な流れだったのかもしれません。

お父様もメキシコ留学の経験があるのでしょうか?
いいえ、父に留学の経験はありません。しかし父は一時期船医をしており、船に乗って世界各国を回っていたそうです。その血を継いでいるのが影響したかはわかりませんが、私も海外に抵抗がなかったのでメキシコ留学をしたのかもしれません。今では私の娘も、私同様メキシコに留学しています。父の代からそういった家系なんだと思います(笑)。

受付日本とメキシコの医療は異なりますか?
メキシコは、基本的にはアメリカの医療をベースとしています。教える内容もカリキュアラムもアメリカと同じ。実習もアメリカと同じで、1年生の頃から実習に行きます。学期ごとに実習先を振り分けられ、そこでいろいろな手伝いをします。向こうには軍の病院があり、そこに当たったら大変(笑)!交通事故や銃撃による負傷者など、ひっきりなしに患者さんが来ますから、本当に寝る暇もないぐらいです。

メキシコでは、卒業して1年間の研修期間を終えたあと、更に1年半ボランティアをするんです。ボランティアの期間はもちろん無給。どうやらそれも「日本人や外国人はお金を持っているでしょ」という考え方のようです。とはいえ、メキシコ人のボランティアドクターも、ガソリン代の足しになるかぐらいの手当だけだったみたいですけどね。幸い、私が行っていた頃は物価が日本の1/5くらいでしたから、仕送りだけでなんとか凌いでいました。

先生の専門分野を教えてください
内科・皮膚科・泌尿器科の3つを標榜して診療私の専門は泌尿器科です。ただ、父の代から内科・皮膚科・泌尿器科の3つを標榜して診療しており、その分野も診ることができるようしっかり勉強をしています。診療科目が複数ですから、いろいろな患者さんがいらっしゃいます。この辺りはオフィスビルがたくさんあり、比較的若い男性の患者さんが多いです。すぐ目の前に慶応の大学病院があるため、入院患者の付き添いをしていた家族の方が風邪を引いて当院に来ることもあります。

プライマリ・ケアを大切にする理由は何でしょうか?
私の出身大学の教育方針は「家庭医」を育てるというものでした。もちろん専門医として活躍するドクターもいますが、一般的な疾患を診ることのできるドクターを多く輩出しています。そういった教育を受けてきましたので、私はそれが普通だと思っていました。

日本へ戻ってきて父の診療を見ていたら「風邪を引いて来たけれど、最近肌に湿疹ができて困っているから診てほしい」というような患者さんも多くいらっしゃる。患者さんからすればありがたいことですよね?ついでに相談もできるんですから。そういった現実を目にしましたし、そういう教育を受けてきたので、今でもそれを信条としています。

院内風景

患者さんへの説明や接し方など気をつけていることはありますか?
患者さんの訴えを詳しく聞くことを大切にしています患者さんの訴えを詳しく聞くことを大切にしています。「いつから」なのか「どんな痛み」なのかなど、事細かに聞き出すことが大事だと思っています。聞き出さなければ、現状を把握して的確な対処ができないためです。

しかし、そういったことを重視すると、どうしても1人にかける時間が長くなり、患者さんの多い日には1時間以上待たせてしまうこともあります。かといって、ヒアリングや説明を切り上げてササッと終わらせてしまっては大学病院と変わりません。これでは患者さんにとって意味がないですからね。クリニックはそういったことに時間を割けるのが良い点だと思っています。ここだけは外すことなく、これからも続けていきたいです。

スペイン語にも対応しているとのことですが、中南米の方の患者さんも多いのでしょうか?
中南米の方の患者さんもいらっしゃいます
もちろんいらっしゃいます。都内にお住まいの方が多いですが、埼玉などからいらっしゃる場合もあります。多くの方が日本語を話すことができますが、やはり痛みや悩みの細かいニュアンスを日本語で伝えるのは難しいようで、そういったときにスペイン語で話せると安心するようです。

中南米の方同士のつながりは強く、そういったところからの口コミで当院を知る機会も多いようです。昔から来ている患者さんに「みんなに教えるから名刺をください」と言われ、一束渡すこともありました(笑)。スペイン語を話せるドクターは少ないと思います。日本に来て、しっかりとした安心できる医療を受けるためにも、スペイン語対応の医院があることを知ってほしいです。

感謝されることで喜びを感じる医師でよかったと思うときはありますか?
これはもう、患者さんの「すっかりよくなりました」という声に尽きます。私は単純ですから、その言葉だけで『明日も頑張ろう!』って(笑)。商売をしている人はみんな同じかもしれませんが、感謝されることで喜びを感じるでしょう?レストランなら「おいしかったよ」と言われたらうれしい。そのために日々頑張っているわけですからね。

今後の展望などをお聞かせください
基本的には、地元の患者さんのために役立つクリニックであり続けたいと思っています。あとは、この辺りはビジネス街なので、クリニックが夕方に閉まってしまうとなかなか来院できないですよね。当院は、火曜日のみ診療時間を延長して20時まで診療しています。なかなかクリニックに来ることが難しい方にこそ、仕事帰りにでも寄ってほしいと思っています。当院が地域医療に役立つために、学会や勉強会にも積極的に参加して患者さんに還元していきたいです。

院長プロフィール矢吹大輔院長<経歴>
メキシコ合衆国 グアダラハラ自治大学医学部卒

1988年 メキシコ合衆国医師免許取得

1988年 メキシコ合衆国ハリスコ州コロトラン市
      地域医療センター内科・産婦人科・泌尿器科

1997年 東邦大学医療センター大森病院
       第一外科 臨床研修

1999年 東邦大学医療センター大橋病院 泌尿器科入局

<資格>
日本人間ドック学会認定医
日本医師会認定産業医

<所属学会>
日本泌尿器科学会
日本性感染症学会認定医

信濃町診療所 アクセスマップ

住所 東京都新宿区信濃町34 トーシン信濃町駅前ビル3F
電話番号 03-3359-5147
アクセス JR総武線「信濃町駅」徒歩1分
診療科目 一般内科・泌尿器科・皮膚科・性病科・健康診断
診療時間 9:00~13:00/15:00~18:00(火曜は20時まで)
休診日 金曜、土曜、日曜午後、祝祭日

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2016年1月11日

道玄坂 加藤眼科 加藤 卓次院長 (渋谷) インタビュー

「国内外で活躍する眼科のスペシャリスト。最新治療にかける想いと可能性」道玄坂 加藤眼科 加藤 卓次院長

渋谷駅のスクランブル交差点から目と鼻の先にある加藤眼科。広々とした待合室には清潔感が漂い、スタッフの対応も非常にていねいな医院だ。院長の加藤先生は国内外で活躍する眼科医で、最新治療も積極的に取り入れているという。その中でも近視矯正の「オルソケラトロジー治療」は近年注目を集めている。

「患者さんがハッピーになることだけを考えている」という言葉からは、患者さんを最優先に考える姿勢が伺える。なぜ眼科医の道に進んだのか。その経緯から最新治療の可能性まで、たくさんのお話を伺った。

加藤 卓次院長インタビュー加藤 卓次院長眼科医になったキッカケを教えてください
私の家は親が医者ではなかったため「医院を継ぐために〇〇科でなければだめだ」ということはなく、何科でも選べました。進路を決める頃「この分野では絶対の自信がある"スペシャリスト"になろう」と思い始めました。

たとえば整形外科。手の専門家や足の専門家、脊椎専門、スポーツ整形など専門分野がいろいろあります。それに対して眼科のようなマイナーな科は、領域は狭いけれど眼のことに関して一人ですべてを診られるスペシャリストになれるのではないかと思ったんです。実際、眼科の道に進んでみたら、角膜の専門家などたくさんの専門分野があって、自分の考えが浅かったなと感じました(笑)。

「眼だけの専門の診療科」というのには少し抵抗がありました本心としては、医学部で6年間全身の勉強をしてきたのに「眼だけの専門の診療科」というのには少し抵抗がありました。今までに学んだ「全身に関する知識を活かしたい」という気持ちがあったのです。

今後、高齢化が進む中で年配の患者さんが増えてきます。生死とは別ですが、生活の質を上げるため、眼や耳など感覚器の治療需要は絶対に増えていくはずだ、という考えもありました。そういったさまざまなことを考え、最終的には眼科をライフワークにしようと思ってこの道に進みました。

先生は最先端の治療を積極的に導入されていますが、その1つであるオルソケラトロジーとはどのような治療法なのでしょうか?
オルソケラトロジーとはどのような治療法なのでしょうか?夜寝るときにハードのコンタクトレンズ(オルソケーレンズ)を入れて角膜の形を矯正(平らに)し、朝起きて外すと矯正された角膜の形が維持されている間は視力が回復するという治療法です。

近視というのは、屈折する力が強すぎて網膜より手前で像を結んでしまう症状ですので、角膜を平らにすると治ります。

基本的にはレーシックも同じで、角膜を、レーザーで削って平らにするかコンタクトレンズで平らにするかの差です。オルソケーレンズは毎日装着する必要があり、止めればもとの近視に戻ってしまいます。そのため人によっては「昼間つけるコンタクトと変わらない」「毎日の手入れが面倒」とおっしゃる方もいます。日中裸眼で過ごせる、夜は寝ている間につけられるという点をメリットに感じ、必要とする人が確実に存在する、ややニッチな治療法なのです。

まだ一般的に認知されていない治療法のオルソケラトロジーは、今後普及していくのでしょうか。先生の考える可能性も含めて教えてください。
先生の考える可能性も含めて教えてくださいアイディア自体は1960年代からありました。ここ10年くらいで改良が進み、第三世代のオルソケーレンズのデザインを改良するなど段々とよくなり、今では少しずつですが普及しています。また、子どもの近視の進行をやや遅くさせるということが、かなり確実な医学的データとして最近出てきました。米国や日本国内での臨床試験も終了し、厚生労働省も治療の有効性を承認しています。

日本では20歳以上で臨床試験を行ったため、ガイドラインではオルソケラトロジーの治療対象は20歳以上となっています。しかし当院では、患者さんに「外国では20未満の方にも使用しています」と伝え「20歳まで待つより、小学校高学年か中学校以上の近視が進行する時期にオルソケラトロジーを使うことにメリットがあります」という話はしています。まだまだ知名度は低いのですが、近視抑制のデータがもっと確実になってくれば、今より普及していく可能性があります。また、レーシック手術を受けるとなると一大決心が必要ですが、ちょっと特殊なコンタクトレンズで、しかも1週間ほとんど無料でトライアルできるとすれば、敷居が低いのではないかと思っています。

オルソケラトロジーには大きな可能性を感じますが、すべての症例で適応できるのでしょうか?
すべての症例で適応できるのでしょうか?中等度の近視までは治せますが、強度の近視は治せません。機器を用いて涙の量などを計測し、適応可能かどうかを検査します。

近視の進行を遅らせることは、実はオルソケラトロジー以外ではできないんです。医療の現場では「この薬が効く」という臨床治験を厳密にコントロールして行います。

たとえば新薬の効果を判定する臨床試験では、実薬を投与する200人のグループと、成分が入っていない薬を投与する200人のグループを用意します。処方しているドクターもどちらが実薬か知らないという状況で、その2つのグループのデータを第三者が解析します。その結果、1つのグループだけが統計的に優位かどうかを見て判断していきます。このように、絶対に不正が行われないようなシステムで比較しますので、きちんと保険で認可されている薬には信頼にたる医学的根拠が存在します。

ところがサプリメントは医薬品とは異なり健康食品に分類され、商業目的で過剰な評価が宣伝や広告で見受けられます。代表例として、ブルーベリーが視力回復に効くという間違った情報や医学的根拠のないコラーゲンの美肌効果などをあげることができます。現代のような恵まれた食生活をしている中で、特定の成分が健康によいということはほぼ無いと考えても間違いないでしょう。それならば、野菜を多く摂り、カラフルなものをたくさん食べ、新鮮な旬のものおいしくいただくなど、バランスのよい食事をしたほうがよほど良いと思います。

このクリニックを開業された理由と渋谷を選んだ理由を聞かせてください
開業する前は大学病院に勤めていました。大きな病院でしか味わえない仕事の充実がある一方で、大きな組織ならではの仕事上の制約もあり、また組織運営上のおびただしい雑用などに時間をとられていました。たとえば椅子1つ購入するにも申請しなければならないし、中間管理職的な立場だったので出席しなければいけない会議なども多く、診療だけに集中できなかったんです。そういう組織の中での煩わしさもあり、自分の裁量で機器を揃えて診療だけに集中したいと思い、開業を決めました。

この場所は、以前勤めていた日赤医療センターにも近く、いくつかの大学病院とも病診連携がしやすいこと、当時診ていた患者さんがこの近辺に多かった、ということも理由の1つです。私自身、郊外よりも都心がよかったっていうのもありますけど(笑)。

ドクターになってよかったと思うことはありますか?
ドクターになってよかったと思うことはありますか?基本的に私は、自分の目の前に現れた人がハッピーになることだけを考えていれば良いと思っています。そのために自分の経験・能力・知識を総動員し、目の前の人がどうすれば悩ましい症状から解放されるかを考え、行動します。数ある職種の中でも「これだけを考えていればよい」というのは、ものすごく恵まれていると思います。

たとえば、社会の中で自社の利益だけを追い求める会社は必ず淘汰されます。反対に、利用者の利益を追求する会社は、儲からないかもしれませんが長く続くものです。そういったバランスの中で商売をするのは、非常に難しいでしょう。その点、我々ドクターは、患者さんを治療して幸せにすることだけを考えればよいのです。治療をして患者さんを幸せにすることは、ドクターだからこそ得られる喜びだと思います。

読者にメッセージをお願いします
読者にメッセージをお願いします今やネットの時代となり、医学の情報が歪んだままあふれているため、正しい情報が伝わっていないような気がします。だからこそ、健康に関する情報や医学的な情報は、信頼できる専門家に相談することが大事です。サプリメントにしても「友達がこれを飲んだら、眼がスッキリして調子がよいみたいなの~」と、友達の情報で動いてしまっている人がとても多いです。

それを私が「違いますよ」と言っても「お友達が2人も3人も言っているのよ」とお友達の情報を優先してしまう方すらいます。ほかにもネットで情報を調べ、頭でっかちになって「大変な病気だ...」と思い込んでいる方がいます。間違った自己診断で取り越し苦労をしてしまう方が少なくありません。中には、こちらが、びっくりするぐらい正確な自己診断をされてくる方もいらっしゃいますが、例外的です。多くの方がネットの情報に振り回され、来院する前に間違った情報をインプットされてしまっているような印象を受けます。

こういう時代ですから、間違った情報はたくさんあり、ネット上に出ている情報は情けないレベルで間違っていることも多いため、そこは信頼できる専門家に相談することが大切です。

院長プロフィール<経歴>
加藤 卓次院長1991年 順天堂大学医学部卒業
1993年 日本赤十字社医療センター眼科
1995年 東京大学大学院研究員
1999年 米国ハーバード大学眼科 角膜・屈折矯正手術部門フェロー
2001年 順天堂大学医学部 眼科学講座 医局長・講師
2004年 道玄坂 加藤眼科開院

<資格>
医学博士
日本眼科学会認定眼科専門医

<受賞>
マサチューセッツ眼科耳鼻科病院 ボシュロムリサーチフェロー賞
上原財団リサーチフェローシップ賞
米国眼科学会 最優秀ビデオ賞

道玄坂 加藤眼科 基本情報

住所 東京都渋谷区道玄坂2-3-2 大外ビル5F
電話番号 03-6415-3190
診療科目 眼科
診療時間 10:30~12:30/14:00~19:00(日曜は18時受付終了)
休診日 年末年始・ビル休館日(年4回)
アクセス 渋谷駅 5-1番出口目の前

患者さんの声(口コミ・評判)評価:★★★★★(5段階中5)/60代/男性
緑内障治療で定期通院していましたが、緑内障治療だけでなく白内障治療も併せて治療することになり、紹介状を書いていただきました。しかし、紹介をいただいた病院が多忙のため年内での治療が困難なことが分かりました。急遽休日にも関わらず先生から連絡をいただき、別の病院の紹介をしていただき、手術を無事受けることができました。このことはだけではありませんが、患者に寄り添った診療をしていただける医院だと思います。今後とも宜しくお願い致します。